<ふくしまの10年・マスター、もう少し聞かせて> (6)町の歴史 目を背けるな
2020年5月26日 02時00分
福島市の居酒屋「せら庵」の常連客で、双葉町出身の元全国紙幹部(68)から、「双葉町の昔の話が聞きたければ会ってみたら」と連絡先を教えてもらったのが、元同町住民で、現在は茨城県古河市に住む大沼勇治さん(44)だ。
「原子力明るい未来のエネルギー」。国道6号からJR常磐線双葉駅につながる道路には、大きなゲート型のPR看板があった。この標語の作者が大沼さん。小学六年生のころ、学校の宿題で考えた。しかし、この看板は、東京電力福島第一原発事故後の二〇一五年十二月、老朽化を理由に町によって撤去された。
今年二月下旬、大沼さんに話を聞いた。
「子どものころ、原発は最新技術の象徴で、東京電力は近代的な大企業だった。父親が東電に勤めている友達は、小学三年生でテレビゲーム機を買ってもらえたけど、うちは五年生まで買ってもらえなかった」
そう振り返る大沼さんは、撤去された看板は、公的な場所で震災遺構として常設展示するべきだと考えている。
「帰るたび、周囲は家屋が解体され更地が増える。自分たちが生活していた町の形がなくなる。どんな町であの事故が起きたのかを、モノとして残さないと、後世に伝えられない」
本紙で大沼さんの思いを四月二日に記事にしたところ、福島県白河市で原発災害の記録を後世に伝える運動をしている民間団体から、福島特別支局に電話が入った。「現物保存に協力したい」。保存への道はまだ見えないが、小学生に原発推進の協力を求めた歴史を「なかったこと」にしてはいけない。
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