<社説>週のはじめに考える 東ティモールと日本

2022年3月20日 07時37分
 日本のはるか南の島、東ティモールは、インドネシアからの独立を住民投票で選択し、二〇〇二年に独立しました。五月で丸二十年。長野県ほどの約一万五千平方キロの国土に、百三十万人余が暮らす小国に、官民約百人の日本人が入り、成長を手助けしています。

◆コーヒー営農を教える

 「マナ・ジュンコ(ジュンコ姉さん)、私たちの豆がベストテンに入ったよ!」
 高層ビルが立つ首都ディリから狭い山道を車で二時間。標高千五百メートルのマウベシ村で、地場産業のコーヒー豆作りを二十年間指導す
る伊藤淳子さん(東京都出身)に現地のスタッフが駆け寄りました。昨年の品評会でのことです。
 インドネシア地域政策研究の一環でコーヒー作りを学んでいた伊藤さんは、独立直前に東ティモール入り。現地の男性と結婚して三児をもうけ、今はNPO法人パルシック(東京)の東ティモール事務所代表です。オンラインでの取材に「品質アップが二十年間で最大の喜び」と語ってくれました。
 東ティモール大農学部で学んだ若いスタッフらとともに、生産者を組織化して現金出納のシステムも整備。同法人の指導によるコーヒー豆の輸出量(大半が日本向け)は二十年前の二十倍に急成長しました。「東ティモールのコーヒーは日本のどこでも飲めるようになった」と成果を実感しています。
 国全体の産出量も無論、年間約三百万トンで世界一位のブラジルには遠く及びませんが、一九年度は二年前の二倍以上の二万五千トン弱にまで伸びました。
 東ティモールでは、二十世紀後半のインドネシア軍による弾圧で、二十万人が死亡したとされます。一九九九年の住民投票では独立派が78・5%で圧勝、三年後に独立を宣言しました。
 最近は治安が安定。「大切な独立運動で横に置かれていたコーヒー作りのアイデンティティーが、平和な今、住民の心に再び灯(とも)ったのかも」と伊藤さんは話します。
 純然と「味」にひかれた日本人もいます。現地の農家と契約を結び、豆を直接輸入する名古屋の喫茶店経営、尾藤雅士さんは「国際貢献とかではなく、私なりの“コーヒー哲学”で東ティモールと付き合っていきたい」と話しています。
 首都中心部とディリ空港の間を流れる川に二〇一八年、国際協力機構(JICA)が二十六億円を負担するなど建設を支援した長さ二百五十メートルの橋が完成し「Ponte(現地語で『橋』) HINODE」と命名されました。JICA東ティモール事務所長の後藤光(こう)さん(愛知県出身)は、「『日の出』は東ティモールの『東』から。両国の“懸け橋”になればとの思いも込めました」と語ります。
 独立後をサポートし続けた国連の現地組織は一二年に活動を終了。その後は「隣国オーストラリアや米国などと並んで日本の支援の存在感は大きい」と杵渕(きねふち)正巳大使(新潟県出身)は言います。

◆油田とASEAN加盟

 国家の課題は大きく二つです。一つ目は油田開発の行方。豪州との国境の海底に油田があり、国家歳入二千二百億円余(二一年)の九割を石油収入に頼っています。コーヒー以外にめぼしい産業がないためです。
 しかし、既存の油田は枯渇が懸念され、新規の油田は豪州との調整が遅れています。
 東ティモールでは十九日、大統領選がありました。杵渕大使は「誰が当選してもこの問題が最重要課題」とみています。
 二つ目は、東南アジア諸国連合(ASEAN)への加盟。国力不足への懸念から合意は得られていません。大使は来年のASEAN議長国インドネシアに期待します。独立紛争で鋭く対立した両国の間にも、最近は融和の雰囲気があるそうです。独立運動を経験していない若年層の意識が、国全体の世論に影響しているようです。「二十年」の時の流れを感じます。
 前途には多くの難題があります。でも、住民投票で独立を勝ち取り、自分たちの意思で国造りを進めるこの国の人たちの表情は、明るく前向きに見えるようです。「親日」が根付く南の小さな国のために、私たちには何ができるか考えたいものです。東ティモールのコーヒーでも飲みながら。

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