「六甲おろし」の作詞家・佐藤惣之助の沖縄愛を映画化 川崎と那覇、百年の絆とは

2022年3月22日 06時00分
 川崎市出身で「六甲おろし」を作詞するなど人気詩人だった佐藤惣之助(1890〜1942)は100年前に沖縄を巡り、明るい月や植物、歌曲や芝居に触れ、詩集や歌詞を著した。そこから始まる川崎と沖縄の交流を描く映画が製作されている。手掛けるのは那覇市出身の喜屋武きゃん靖監督(58)=東京都。「『川崎の中の沖縄史』を伝え、次の100年の交流につなげたい」と話し、川崎市内での年内上映を目指す。(安藤恭子)

「映画で描きたいのは川崎の中の沖縄史」と話す喜屋武靖監督。後ろは佐藤惣之助生誕の地に建てられた詩碑

佐藤惣之助詩碑 1959年、川崎市から那覇市に贈られ、首里城跡に設置。首里城復元工事を受けて92年に市内の公園に移設されたが、両市民の要望を受けた那覇市が昨年10月、首里城公園に詩碑を再移設した。川崎市出身の陶芸家で人間国宝の浜田庄司が、赤瓦を使った意匠を手掛けた。「琉球諸嶋風物詩集」の一節「しづかさよ空しさよこの首里の都の宵のいろを誰に見せやう眺めさせやう」が刻まれている。

 惣之助は1922年、船で沖縄本島や慶良間諸島を巡った。この時の体験から「琉球諸嶋しょとう風物詩集」を発表。沖縄県民の愛唱歌「うるわしの琉球」の作詞を手掛けた。戦後間もなく、川崎市から那覇市に惣之助の詩碑が贈られた。
 ところが「惣之助の沖縄愛を知る人は、今や川崎にも沖縄にもほとんどいない」と喜屋武さん。5年前、惣之助の詩碑が再移設される計画を知って映画化に乗り出した。詩碑は昨秋、首里城公園に移設された。

首里城公園に再移設された佐藤惣之助の詩碑=那覇市で

◆監督は川崎と沖縄にゆかり

 喜屋武さんは高校卒業まで那覇で暮らし、進学先の旧日本映画学校があった川崎で27年生活した。「双方の町を知る自分なら、交流の歴史を伝えられるのではないか」との思いにかられたという。
 川崎と沖縄の関係は長い。大正初期から沖縄県人が職を求め、川崎に移住し始めた。戦後も京浜工業地帯に多くの労働者が集まった。
 映画の題名は「佐藤惣之助詩碑川崎・那覇・沖縄百年の絆」。第1部は戦前の「惣之助と沖縄」を取り上げ、第2部は戦後の川崎で沖縄芸能を市や神奈川県の無形文化財へと盛り上げた市民らの活動を中心に、1996年の那覇と川崎の友好都市締結までを描く。

◆5月に惣之助詩碑の移設除幕式

比嘉孝さん

 コロナ禍で、那覇での惣之助詩碑の移設除幕式は今年5月に延期された。映画では除幕式までを収録し、川崎での上映につなげたい考えだ。那覇市歴史博物館の外間政明学芸員は「沖縄を愛した惣之助は沖縄の『良き理解者』。詩碑には、遠く離れた県人の思いも込められている」と語る。
 今年は沖縄の本土復帰50年。映画製作に協力する川崎沖縄県人会の前会長の比嘉孝さん(74)は「異国扱いされてきた沖縄人が、やっと日本の人になれた50年でもある」。喜屋武さんは「川崎で沖縄の文化を守り、労働者の生活向上に尽くした人たちがいることを知ってほしい」と願う。
 映画の資金協力も募っている。問い合わせは「『百年の絆』製作委員会」のメール=kizuna1922okinawa-kawasaki@yahoo.co.jp=へ。

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