土方歳三資料館 愛され過ぎて休館へ 日野の生家跡 子孫「個人での運営は限界」

2022年3月23日 07時19分

今年10月末に休館する土方歳三資料館の前庭にある胸像=いずれも日野市で

 幕末に新選組副長として活躍し、旧幕府軍で最後まで戦い抜いた土方歳三(1835〜69年)。日野市の生家跡では、土方家の子孫が「土方歳三資料館」を開設し、30年近く遺品などを公開してきた。全国からファンが訪れていたが、今年10月末に休館という区切りを迎えることになった。

土方歳三資料館について話す土方愛館長

 住宅の一部を改装した展示室の入り口は、梁(はり)だけが古さを感じさせる。「これは建て替え前の生家の大黒柱。少年時代の歳三が風呂上がりに、相撲の張り手のけいこをしていたそうです」。土方愛(めぐみ)館長(50)が見上げながら説明した。
 庭には今も、歳三が「武人となりて名を天下に挙げん」と言って植えた矢竹が残る。三十平方メートルほどの展示室では、遺品や史料など約七十点を見ることができる。

資料館の前庭で青々と育つ「土方歳三手植えの矢竹」

 新選組が倒幕派を襲撃した池田屋事件で、歳三が身に着けた防具の鎖帷子(くさりかたびら)が目を引く。額を守る鉢金(はちがね)には七、八カ所の刀傷が残り、死と隣り合わせの日々を物語る。戦死した函館でも使っていた愛刀「和泉守兼定(いずみのかみかねさだ)」や句集、手紙も展示されている。
 活躍した時期の遺品だけでなく、若き日の歳三を想像させる生家ならではの史料も。土方家伝来の薬を売り歩いていた行商道具や、けいこで使っていた木刀もある。

池田屋事件で身に着けた鎖帷子=土方歳三資料館提供

 「博物館の広い空間で主な遺品だけを展示するよりも、実際に歳三が育った場所で生活用品や民具も見てもらい、実像を感じてほしい」。展示の目的をこう語る土方館長は、土方家を継いだ歳三の兄から数えて六代目。建て替え前の生家で育った最後の世代になる。
 生家では以前から作家や熱心なファンらが「遺品を見たい」と訪れ、公開を望む声が寄せられた。土方館長の母が一九九四年、公開を考えていた亡き夫の遺志を継ぎ、建て替えを機に資料館を開設。当初から手伝っていた土方館長は二〇一二年、母から館長を引き継いだ。
 開館日は大型連休などを除き、原則で月二回。来館者は最初は十数人程度だったが、間もなく全国のファンに知られるようになり、行列ができた。多い時は一日に千人、年間で約一万五千人が訪れた。

特別公開期間のみ展示される愛刀「和泉守兼定」の刀身=土方歳三資料館提供

 新選組はドラマや小説のほか、ゲームにも登場するため、来館者は世代も性別も幅広い。常連も多く、歳三の部下の子孫が訪ねてきたこともある。土方館長は「いろいろな人との出会いと縁は宝物」と振り返る。
 一方で、各種の問い合わせへの対応や、グッズの通信販売など、さまざまな作業に追われてきた。コロナ禍で来館を予約制にした際は、大量のメールのやり取りも必要になった。
 「皆さんの要望に対応しきれない」と個人の体力と頑張りによる運営に限界を感じ、いったん休館することを決めた。遠方のファンも来館の予定を立てられるように、休館八カ月前の二月にホームページなどで公表した。
 とはいえ、「歳三の人となりや旧幕府軍の歴史が語り継がれてほしい」と願う気持ちに変わりはない。休館後は、遺品や史料をどう残すかを模索するつもりという。土方館長は「今は休館まで、一日一日の開館日を大切にしたい」と思っている。
 ◇
 資料館は日野市石田2の1の3。多摩モノレール万願寺駅から徒歩2分。開館日や時間はホームページで確認できる。入場料は大人500円、小中学生300円。
 文・宮本隆康/写真・中西祥子
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