<ふくしまの10年・マスター、もう少し聞かせて> (2)息子は避難したまま

2020年5月20日 02時00分

「せら庵」のマスター江代正一さん=福島市で

 福島市中心部に福島稲荷神社という大きな神社がある。このすぐ近くの雑居ビル一階にワインセラーを備える居酒屋「せら庵」がある。カウンターに四人、テーブル席に十人入れば満席。小さく、レトロな雰囲気の店だ。
 店主は江代(えしろ)正一さん(71)。短い白髪がすっきりした印象で年齢より若く見える。店近くにあった紳士服店の息子で、一九六三年三月に上京。四十九歳で辞めるまでアパレルメーカーに勤務し、都内や東北地方のデパートの紳士服売り場などで働いた。
 自分の店を開いたのは四十九歳の時だ。「子どものころから料理を作るのが好きだったんだよ。自分の好きなことやるって楽しいですよ。調理師免許? 会社辞める前に取ってたんだ」と江代さん。
 賃料の安い物件を探し、退職金を元手に開業した。最初はランチに七百円の定食を出した。そのうちに夜もお客さんが来るようになった。
 原発事故の発生で客層が少し変わった。
 「十五年以上前から東京電力さんの社員も来てくれていたんだけど、だんだんね…。その代わり、報道各社の福島支局経験者が応援で続々と来た。かつて食べに来ていた記者さんが戻ってきたんだよ」
 江代さんの息子は原発事故当時、市内の土湯温泉のホテルで調理師として働いていた。あるとき、「俺、逃げるから」と自宅に告げにきた。二人の子どものうち一人が小学校入学前で、放射線の影響を不安に思ったらしい。
 「滋賀県に避難していったんだけど、向こうに落ち着いちゃったみたい。帰ってこないんだ」。マスターも事故の影を背負っていた。
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