忘却に抗うために 『不謹慎な旅 負の記憶を巡る「ダークツーリズム」』 フォトジャーナリスト・木村聡(さとる)さん(57)

2022年3月27日 07時00分
 ふんだんに取材費が使えないフリーランスは考えていた。――二泊三日ぐらいの取材旅行でチャチャっと一本できないかな。
 そんな失礼で、もう「不謹慎」な発想があったからだろうか、雑誌への連載時にこのタイトルはすんなり思いついた。もちろん毎回の取材は二泊三日で終わるはずはない。東北の震災遺構も、自殺の名所も、女人禁制の山も、どこでもまずは負の遺産を訪ねる「ダークツーリズム」という聞きなれない旅の説明に時間を要したし、そもそも“書く人”以前に“撮る人”を自認する身としては、たとえばマラリア禍の島で夜空が曇ると撮りたい星が出るまでどんどん宿泊数はかさむ。そうそう、タイトルを伝えただけでいぶかしがられることも。当初の不謹慎なもくろみはとっとと霧散する。
 幸運にも連載は三年以上続き(現在も継続中)、一冊の本にまとまる機会を得るのだが、さらに幸いなのは「不謹慎狩り」に遭ってないことだ。いつからか大災害や悲惨な事件が起きた時、楽しくしている(見える)行為は「不謹慎だ」と批判され、ネット上での攻撃「狩り」が横行するようになった。では、なぜ人は批判されるような不謹慎なことをしたがるのだろう。行くな、自粛しろと言われた場所に、どうして引き寄せられてしまうのか。
 人が避けられないものには「忘れる」もある。楽しいことも辛(つら)いことも、いつしか記憶から薄れる。だが、もし過去すべてをはっきり覚えていたら、それはそれできっと生きづらい。適度に忘れることは、生き続けていく上で必要な人間の本能なのかもしれない。
 ただし、忘れることで有益な何かを失う場合もある。忘れなければ回避できた惨事も、救えた命もある。くだんの本能は都合よく忘却を差配してはくれない。だから、人は悲しい出来事でも忘れまいと記録する。そのために見ておこうとする。私は旅をする。ひょっとして悲劇の現場を不謹慎にも見たがる欲望とは、忘れたいものを消し去る本能の前で、その忘却に抗(あらが)い大切な悲しみを記憶にとどめるため、これまた人間が本能的に備えたものかも。
 そんなことを旅の途中で考えていた。出会う“ダーク”な遺産たちが、たちまち光り輝いて見え出した。
 =寄稿
 弦書房・二二〇〇円。

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