<首都残景>(34)素盞雄神社 桃まつり 雛人形、再びの晴れ舞台

2022年3月27日 07時08分

桃の節句を過ぎて桃の花が開花するまで飾られている雛人形。3000体以上が地域の家庭から提供された=いずれも荒川区の素盞雄神社で

 雛(ひな)人形といえば新暦の三月三日に飾るものという印象が強い。だが荒川区南千住の素盞雄(すさのお)神社では、「桃の節供(せちく)の雛飾り」と呼んで四月上旬まで続けている。 
 この季節、境内の百本を超える桃は盛期を迎え、紅白や濃いピンクの可憐(かれん)な花を付ける。芳香を放ち、咲き競う桃と雛人形の絢爛豪華(けんらんごうか)な競演が、春を呼ぶ風物詩となっている。
 神社がある下町一帯は約八十年前、太平洋戦争の空襲で壊滅的被害を受けた。神社の氏子など地元の人々は焼け野原から立ち上がり、戦後復興・高度経済成長と、子どもたちのために七段の雛飾りをそろえる時代があったという。やがて時はたち、住環境の変化などから人形は家の納戸にしまわれがちに。二十年ほど前、そうした人形に光を当てようと呼び掛けると、奉納する人が続々と現れた。
 桃には邪気を払う力があると伝えられている。神社創建の四月八日は疫神祭(えきじんさい)が行われ、江戸時代から桃のお守りを授与してきた。この桃にゆかりがあることから、境内に咲く桃の花をお雛さまへのお供えに、氏子崇敬者から奉納された雛人形を各所に飾り出している。

作者や作られた時期の違いから異なる表情を見せる雛人形

 境内にはためく幟(のぼり)には「蘇民将来(そみんしょうらい)子孫也」の文字がある。
 遠い昔、南の海に旅に出たスサノオノミコトが蘇民将来という貧しい男にもてなしを受けた。歳月がたち、蘇民将来と再会したスサノオノミコトは「もしも疫病が流行したとき、あなたの家族は茅(かや)でつくった小さな輪を身に着けていなさい。きっと疫病から逃れるでしょう」と伝えて帰った。その後、村に疫病が流行(はや)ったが、蘇民将来の家族だけは無事だったという。
 江戸の庶民は疫病の流行におびえるたびに、「蘇民将来子孫也(蘇民将来の子孫です)」と繰り返し口にしていたのかもしれない。
 今、雛飾りの前に下がる願い事の札にも「早くコロナが収まりますように」という言葉が目立つ。戦火に焼かれる遠いウクライナの惨状を受けて「戦争が終わりますように」という願いもある。昔から庶民の切実な願いは変わらない。

桃の絵札に願いを託す

 千住は俳聖・松尾芭蕉が一六八九(元禄二)年春に「奥の細道」へ旅だった場所でもあり、境内には「矢立(やたて)初め」の句碑がある。芭蕉が出発したのは「弥生も末の七日」。
 行く春や鳥啼(な)き魚の目は泪(なみだ)
 この有名な句が詠まれたときも、素盞雄神社の桃の花は満開であったに違いない。
 =おわり
 文・坂本充孝/写真・木口慎子
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