事実追求し、物語紡ぐ デビュー10周年 新手法で挑んだ『朱色の化身』を刊行 塩田武士さん(作家)

2022年4月2日 13時04分
 社会派ミステリーを多く手掛けてきた作家の塩田武士さん(42)が、長編小説『朱色の化身』(講談社)を刊行した。デビュー十周年を機に挑んだのは、新たな手法で描き出す「リアリズム小説」。複数のキーワードを決めて取材を進め、そこで得た事実(実)を基に、一人の女性(虚)を浮かび上がらせた。あえて手間をかけ、なぜ虚実の合間を書くのか。
 三月半ば、JR大阪駅に直結するホテルの喫茶ラウンジ。アクリル板で仕切られた机にはファイルや地図、人物帖(ちょう)が積まれていた。「二度と同じことはしたくない。大変でした」。優雅なティータイムに似合わない大量の資料を前に、塩田さんが三年間の取材・執筆を苦笑いで振り返った。
 主人公は、元新聞記者のフリーライター大路亨。同じく記者だった病身の父から、辻珠緒という女性を探すよう頼まれる。だが調べると、優秀なゲーム開発者だった彼女は忽然(こつぜん)と姿を消していた。大路は、珠緒が通った京都大の学友や勤めていた銀行の元同僚、地元福井の知人らに話を聞くうち、一九五六年の芦原大火が影響していると気付く。
 塩田さんが節目を迎えるにあたり、求めたのが新たな手法だった。自身の分析では、リアリズム小説の手法は三つに分類できる。実際の事件や人物を追う「トレース型」、モデルにしつつ本質を抜き出す「モデル型」、そして今回の「キーワード型」だ。編集者と訪れた福井の風景にひかれ、「温泉街で育った女性」を描くとだけ設定。加えて「ジェンダー」や「依存症」といった「普遍性と現代性がある」キーワードを挙げて取材を始めた。
 温泉旅館の支配人、男女雇用機会均等法の施行当時に入行した女性、依存症治療の医師ら、話を聞いた関係者は数十人。大火で旅館からシェパードが逃げ出したこと、ワンピース姿で面接を受けたこと…。珠緒の人生以外は実際に聞いた情報を一つずつ、小説内に「ぐさぐさと刺していった」。徹底的にリアリティーを追求し、物語を紡ぐ−。面倒にも思える手法を採ったのは、小説家としての危機感から。「テーマを決めて取材したら、書けてしまうんです。でも先に決めることで先入観が生じ、可能性をふさいでいないか」
 「実」を積み重ねることで、不思議と「虚」である珠緒の人生が鮮やかに見えてきた。「習慣とかシステムによって押しつぶされていく人生では」。昭和、平成、令和を生きた女性の姿は、社会の在り方を映しもした。そして物語は終盤、彼女の人生を追った大路に、気付きをもたらす。
 グリコ・森永事件に材を採った『罪の声』(山田風太郎賞)、誤報をテーマにした『歪(ゆが)んだ波紋』(吉川英治文学新人賞)。作品の多くはノンフィクションとも、完全な創作とも言い切ることが難しい。あわいで書く理由は? 塩田さんは「作家個人で考えられることなんて知れている」と軽やかに答える。そして、虚実が分からないから楽しいとも。「読んでいるとき、虚実を行き来して最終的にこれほんまなん?ていう状態はエンターテインメントなんですよ」
 小説家を志した原点は、四歳からの読み聞かせ。母が選んだのは松本清張の『顔』や『鬼畜』といった短編だった。「(子供向け怪談の)人面犬とか鼻で笑ってました。結局人間が一番怖いし、おもろい」。大学四年間で長編を書けず、まずは社会を知りたいと神戸新聞の記者になった。警察、行政、文化などで経験を積み、将棋取材を昇華させた『盤上のアルファ』で二〇一一年、デビューした。
 十年間の記者生活は「情報とどう向き合うか」というテーマをもたらした。今作でも、大路が記者だったころ、ひったくりの記事を書くかを被害金額で線引きする場面が出てくる。だが彼はやがて<向き合うべきは(中略)マスの視点ではなく(中略)人間という大河を言葉にする世界>と確信する。それは、塩田さんの実感でもある。「個の積み重ねが社会になっていることを忘れてはいけない。情報は社会インフラの根本。『報道小説』というジャンルで、書けるだけ書いていきたいですね」 (世古紘子)

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