ほほ笑みから生まれるもの

2022年4月5日 08時06分
 春が来た。待ち望まれた春。この一年、新型コロナウイルス、自然災害、そして戦争と悲しいことが相次ぎ、多くの涙が流された。せめて今は未来を信じてほほ笑みたい。ほほ笑みは人間だけが持つ温かい武器。改めてその力について考えてみよう。

<ほほ笑み> 人間は教えなくても生後すぐにほほ笑み(新生児微笑)を浮かべることが知られている。人見知りの時期になると、人を選んでほほ笑むようになるが、保護者との接触が少ない子どもではこの微笑がなかったり遅れたりすることから、対人関係の基礎となる重要な行為とされる。微笑は、未熟で無力な状態で生まれてくる人間が生きていくために周囲の保護を求める本能的また社会的な行動と言える。

◆顔和らぐと心身楽に プロフィギュアスケーター・村上佳菜子さん

 北京冬季五輪では、カーリング女子「ロコ・ソラーレ」の活躍から勇気をもらった人が多いと思います。一生懸命に競技と向き合い、笑顔で頑張る姿を見ると「自分も頑張らなきゃ」という気になりますよね。
 彼女たちは試合中も、笑顔で声を掛け合っていました。不安になったとき、信頼する仲間から「大丈夫だよ」と言ってもらえる。それは、とても心強く、言葉に救われることもあります。私は個人種目でしたが、仲間と一緒に戦う団体種目もいいなと感じました。
 フィギュアスケート女子の坂本花織選手の笑顔も印象に残っています。涙を流す場面もありましたが、メダルが決まった後は、はじけるような笑顔を見せてくれました。本当に表情が豊かな選手ですね。
 演技前の彼女は、緊張した様子でした。実は、私も同じタイプの選手でした。緊張して顔がこわばってしまうんです。そんなときは、顔をマッサージして笑顔をつくっていました。表情が和らぐことで、気持ちも体もリラックスし、落ち着いて演技できるようになります。
 スポーツには厳しさが必要な部分もあります。でも、スポーツをする一番の理由は「好きだから」だと思うんです。好きだから楽しい、楽しいから自然と笑顔になる。つらいこと、悔しいことがあっても、好きだから続けられるんです。
 笑顔は、みんなを幸せにします。笑顔であいさつされて嫌な気分になる人はいませんよね。私は、不安なときこそ笑顔で話し掛けるようにしています。すると相手も笑顔で返してくれます。笑顔でいれば、自分も前向きな気持ちになれます。
 子どもの頃から私は、感情を隠さないタイプでした。泣くときは泣きわめくし、笑うときは心から笑う。大切なのは、感情を押し殺さないことだと思います。大人になると難しいところもありますが、自分の心に正直でいれば、心の底から湧き出る笑顔になるし、きっと人にも伝わるでしょう。
 今は、テレビ番組で街の人と触れ合う仕事もしています。マスク越しなので表情が分かりづらく、苦労もあります。私もコロナに感染して、ご心配をおかけしましたが、早くコロナ禍が収まって、マスクを外した皆さんの笑顔を見ることができればいいなと思っています。 (聞き手・越智俊至)

<むらかみ・かなこ> 1994年、愛知県生まれ。3歳からスケートを始め、2010年に世界ジュニア選手権で優勝。14年のソチ五輪出場。17年の引退後はアイスショー出演のほかタレント活動も。

◆表情が伝染 前向きに 宇都宮大教授・中村真さん

 ほほ笑むことは、強要されるような場面でなければ、基本的には本人にとってプラスだと思います。自然とそういう表情になるということは「快」の状況でしょうし、身体的な動作が心理的な変化をもたらすことも考えられるからです。スキップすると朗らかな気持ちになるように、眉間に縦じわを寄せた表情をつくるよりは、ニッコリした方がポジティブな気持ちになることはあると思います。
 対人関係でも、ほほ笑みは重要な役割を果たします。誰でも、しかめっ面をした人とは一緒にいたくないですよね。自分が笑顔でいれば、相手の緊張感がほぐれ、話もしやすくなるのです。ニッコリしている人を見て、思わずほほ笑んでしまった経験はありませんか? 鏡に映るように、見たものを自分が再現する仕組みがあることが最近の研究で分かってきています。
 表情が伝染するのだとしたら、自分のほほ笑みは、接している相手も笑顔にさせるのです。表情とともに、ポジティブな気持ちも伝染して共有できる、連鎖のような流れがつくれるかもしれません。
 ただ、最近はコロナ禍で、皆がマスクをするようになり、少しぐらい笑っていても分からなくなってしまいました。口の周りの情報は表情を読み取る大きな手掛かりなので、コミュニケーションにも大きな影響を及ぼしていると思います。
 一方、オンラインでのやりとりが増えたことで、画面越しに相手の顔をじっくり見られるようにもなりました。これまでだったら気付かなかった特徴や癖が分かるかもしれません。
 また、リモート社会で劇的に変わったのは、自分の表情を自分でよく見るようになったことでしょう。役者や研究者でもなければ、人と話している時の自分の表情を今ほど観察する機会はなかったはずですので、特別な体験になっていると思います。「自分はこんな口の動かし方や笑い方をしているんだ」と自覚するようになったことは意義深いです。
 話している顔を見れば、楽しそうなのか、嫌そうなのか、自分でも意識していなかった感情が読み取れるはずです。無理に笑うことは逆にストレスになってしまいますが、負荷がない状況なら、前向きな気持ちになれるよう、ほほ笑むことを心掛けてみてはいかがでしょうか。 (聞き手・清水祐樹)

<なかむら・まこと> 1962年、鳥取県生まれ。専門は感情とコミュニケーションの心理学。著書に『人はなぜ笑うのか』(共著、講談社)、訳書に『微笑(ほほえ)みのたくらみ』(化学同人)など。

◆仏像で喜び広く伝え 円空学会顧問・長谷川公茂さん

 円空といえば、ほほ笑みの仏像。一般的な仏像もアルカイックスマイル(古代ギリシャの彫刻に特徴的な微笑)を浮かべていますが、円空仏にはそれらとは違う魅力があります。極端に単純化され、現代彫刻のような斬新さ。そこには円空自身の苦しい過去や修行の経験が映しだされています。だからこそ私を含め、多くの人の心をつかんできたのだと思います。
 実は、円空も初めは伝統的な仏像を彫っていました。作風が変わったのは四十三歳ごろ。延宝二(一六七四)年に三重県志摩市片田で「大般若経(だいはんにゃきょう)」を巻物から、見やすく片付けやすい折帖(おりちょう)に修復する仕事を頼まれた時のことです。円空はその際、一部に扉絵を描き足しました。その一つに、八歳の娘が釈迦如来(しゃかにょらい)に宝珠をささげる様子を描いています。これは「法華経(ほけきょう)」の経典にある女人成仏の情景でした。
 私の研究では、円空は七歳で洪水により母を失っています。当時一般的に女人は汚れていて、成仏できないとされていたため、円空は悩み苦しみました。母の魂はどうなってしまったのだろう、という疑問から出家したのです。「大般若経」を修復する中で法華経に接し、その疑問が晴れたのだと思います。全ての人は成仏できると知り、母の魂は極楽に行っていると確信したのではないでしょうか。
 円空は喜び、教えをほかの人にも知らせたくなりました。その手段として仏教の教えの一つである、どんな人にも和やかな顔で接しなさいという「和顔悦色施(わげんえつじきせ)」の見本となるような、ほほ笑みの仏像を配ることにしたのです。実に十二万体もの仏像を作ることを祈願したとされています。
 そのため、作りは非常にシンプルになりました。ほほ笑んだ顔を施すのが目的であり、顔を中心に彫ったからでした。延宝四年に仁王像を作った際は、余った木くずから千三百もの木端(こっぱ)仏を作りました。
 ほほ笑みの仏像には、私たちは大自然に生かされている、それを喜びなさいという円空の仏教観も込められています。私たちは自分の力で生きているのではありません。牛肉を食べたいなら牛を殺さなければいけません。人間は他の生物の命を奪わないと生きてはいけないのです。これを忘れてはいけない、仏教を学びなさいというのも円空のメッセージだったのです。 (聞き手・長尾明日香)

<はせがわ・まさしげ> 1933年、愛知県生まれ。円空研究の第一人者。71年に円空学会を設立し、理事長を経て現職。円空仏の写真集を12巻発行。著書に『円空 微笑(ほほえ)みの謎』など。

 お断り 「考える広場」来週は休みます。次回掲載は19日です。

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