地下鉄のジョー・ストラマー(1981)彼は言った「撮りたいものは撮れ。それがパンクだ」<一枚のものがたり>ハービー・山口

2022年4月9日 06時40分

 Joe on the Tube 1981 ©herbieyamaguchi

 ふと見ると、見覚えのある男が立っていた。一九八一年、ロンドンの地下鉄の駅ホーム。気取らないジャケット姿の若者は、パンクバンド「ザ・クラッシュ」のボーカル、ジョー・ストラマー(一九五二〜二〇〇二年)だった。名盤「ロンドン・コーリング」などで誰もが知るスターだ。
 私生活を撮るのはまずいのでは…。ハービー・山口(72)=東京都大田区出身=は気後れしつつ、勇気を振り絞って「ジョーさんですよね。撮っていいですか」と声をかけた。
 「どうぞ」と応じてくれたのを受け、24ミリレンズを着けたニコンFを構える。ホームで二、三枚、さらに車中でも撮った。
 車両がクイーンズウェイ駅に入る時、駅の柔らかい光が差し込んできた。その時、少し明るくなった車内で撮ったのが「地下鉄のジョー・ストラマー」だ。
 まっすぐにレンズを見詰め、穏やかな表情のストラマー。奇声を上げるステージの熱狂とは異なる静けさが、そこにあった。
 「ありがとうございました」。ハービーが頭を下げると、降り際「撮りたいものは撮るんだ。それがパンクだ」と言って去った。
 大学卒業後、一九七三年に渡英して八年。このままでいいのかと迷っていたハービーに、このひと言が勇気を与えた。「好きなものに向かって妥協なしに生きようぜ、それがパンク精神だと。うれしくて、次のノッティングヒルゲート駅で降りたら、階段を駆け上がって街に出ました」
 ハービーは幼い頃、カリエスを患っていた。体育はいつも見学。中学一年の半年間、不登校だった。
 「色白の山口君は毎朝、母親に背負われて登校していた。(略)山口君はよく泣いていた」(有沢螢「虹の生まれるところ」)
 少年は中学二年の時、友人の誘いで写真部に入部。父のカメラを手に写真を撮りはじめる。やがて病状もよくなり、いつしかカメラマンの道を志していた。
 ロンドンでは貧乏暮らしが続いたが、打楽器奏者ツトム・ヤマシタが主宰する劇団に参加したのがきっかけで、ヤマシタのミュージシャン仲間を撮影。さらにロバート・プラント(レッド・ツェッペリン)、ロバート・フリップ(キング・クリムゾン)、ジョン・ライドン(セックス・ピストルズ)…と、次々にミュージシャンを撮った。「カルチャー・クラブ」のボーイ・ジョージとは、私生活でも親しくなった。
 八四年、日本で初めての個展を開催。その成功により地歩を固め、一線の写真家となっていく。
 「あなたの髪形には何か物語があるんですか」。昨年八月、ハービーは都内で乗ったタクシーの運転手に語りかけた。前頭部に少し残し、残りをそり上げていた。「バンドやってるんです」「そうですか。僕、カメラマンなんですが、ジョー・ストラマーとか撮ったことがあるんですよ」。わずか十五分ほどの道中、話が弾んだ。
 運転手は、パンクバンド「ニューロティカ」のドラマー、ナボ(55)。コロナ禍でライブが開けなくなり、副業で運転手をしていた。「負い目があって公言してなかったんです。でも、ハービーさんと出会って言うことにしました」
 「ニューロティカ」が日本武道館での公演を目指していることを知ったハービーは、自らが出るイベントやラジオにナボを呼んで応援。今年一月三日の公演は、満員の観客で盛り上がった。
 ストラマーと出会い、その言葉に支えられたハービー。自身もまた、出会った人たちに幸せを届け続けている。
 「人に希望を与える写真を撮りたいんです。どんなときもネガをポジにする、人間っていいよねっていう写真を」 =敬称略

写真家ハービー・山口さん 中西祥子撮影

 一枚の写真の背後には、時に思いもかけないドラマや、忘れることのできない思い出が隠れています。一線で活躍する写真家から名もなき市井の人々まで、さまざまな人が印画紙に刻んだ「一枚のものがたり」をひもといていきます。 (第2、第5土曜日に掲載します。次回は30日です)

文・加古陽治

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