<ふくしまの10年・行ける所までとにかく行こう> (4)「しっかり報道して」

2020年4月24日 02時00分

相馬港近くの原釜地区では、海水がなかなか抜けず、湖のようになっていた。奥は新地発電所=福島県相馬市で(豊田直巳さん提供)

 双葉町から都路(みやこじ)街道(国道288号)でいったん内陸部に戻った写真家の豊田直巳さん(63)は二〇一一年三月十四日、大回りし県北部の相馬市や新地町に入った。県内の津波被害もしっかり取材するためだが、沿岸部はどこも路肩はがれきの山。津波のすさまじい力を思い知らされた。
 相馬共同火力発電新地発電所を望む相馬市の原釜地区では、津波で入り込んだ海水が道路に囲まれているためかなかなか引かず、湖のようになっていた。無数の家々の残骸が浮かび、多くの漁船が打ち上げられていた。がれきの中を、千葉県警広域緊急援助隊などが捜索を続けていた。
 泥まみれのがれきの中から家族の大切な思い出の品を捜す人、流された漁船を見つめる人の姿もあった。発見間もない遺体も置かれていた。
 夕暮れが近くなり、豊田さんはこの日の宿を確保することも考え、仙台市を目指し北上。延々と続く路肩のがれきにため息をつきながら、宮城県山元町で車を止めた。
 「ありがとう! よく来てくれた。しっかり報道してくれよ!」。カメラを構えていると、消防車に乗って通り掛かった地元消防団から大声で言われた。
 豊田さんは「この地にはあまりプレス(報道)が来ていないんだ」と、自分の果たすべき役割を感じ、疲れた体に力が戻った。
 翌十五日朝は同県名取市の閖上(ゆりあげ)地区へ。ここも津波被害は甚大で見渡すかぎりのがれきの山。一部ではまだ火がくすぶっていた。立ち上る白煙に、闘いはまだ始まったばかりなのだと感じた。それでも、既に重機でがれきが移動され、車がすれ違えるほどの道が確保されていた。石川県の自衛隊や富山県の消防隊などが捜索活動を展開していた。
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