一期一会を記録する 寄席撮り続け半世紀の集大成 横井洋司さん(演芸写真家)

2022年4月9日 13時04分
 きっと多くの人が、この人の撮った高座写真を目にしているに違いない。演芸写真家、横井洋司さん(84)。落語を中心に寄席演芸を追いかけて約五十年になる。三月に刊行した写真集『名人 粋人 奇人 昭和平成落語写真鑑』(小学館)は、落語から色物の珍しい芸まで、いまは亡き九十五人が熱演する名場面をとらえた貴重な一冊だ。同時に、横井さん自身の足跡を表す「集大成」でもある。
 昭和の名人三遊亭円生が「死神(しにがみ)」の一場面でギョロリと目をむく驚きの表情。「笠碁(かさご)」を演じる人間国宝柳家小さんが、きせるに見立てた扇子をくわえてジッと上目遣いをするしぐさ。モノクロ写真が伝える在りし日の姿は、二度と目の前で見て、聞くことのできない高座をほうふつさせる。
 写真集は半分以上を落語家が占めるが、ページをめくれば講談師、浪曲師、色物の芸人と続く。あおむけになって上げた足の裏でたるを回す芸(東富士夫)や、上を向き両手を離してトロンボーンを吹きながら万国旗を繰り出す芸(ボンサイト)など、もはや絶えたようなものもある。
 「すべての演芸を撮っている人って、あんまりいないんじゃないかと思うんです。ああ、昔こういう芸があったんだなというのが残れば、一番うれしいですね」。横井さんが、穏やかな笑みを浮かべる。
 芸によっては一代限りのものもある。受け継がれた芸も、演じ手によっておのずと個性が出るだろう。さらに言えば、一人の演者の一つの演目であっても、毎回毎回、全く同じということはあり得ない。まさに「一期一会」だ。こうした中で何をどうとらえて伝えるのか。これが、自らを「記録の写真家」と言う横井さんの真意なのだろう。
 東京・浅草で生まれ、幼い頃から落語がそばにあった。夢中で寄席や落語会に通った高校時代、写真部でカメラに親しむ。卒業後、いくつかの職を経て印刷会社に入り、再び写真に打ち込んだ。写真工房に移ってカメラマンの助手として腕を磨き、フリーになった。
 「落語が好きだから、落語なら」と考え、高座の撮影を始めた。一九七六年に発売されたLPレコード「落語歳時記」(ビクター音楽産業)のジャケット写真でプロデビュー。多い時は年間二百日以上、寄席へ撮影に通った。必ずしも依頼を受けた仕事ばかりとは限らない。「自分のライフワークで落語だけはずっとやっていて。それがいま財産として残っているんです」
 本書の表紙カバーを飾るのは、憧れだった古今亭志ん朝さん。扇子を右手に、軽く左手を上げた華やかな笑顔のカットは、東京都内で三月にあった自身の写真展にも出した作品だ。「江戸弁が良くて、スマートで、リズムがあって。この人を撮りたいな、というのがあってね」と懐かしむ。
 東京・本駒込にあった三百人劇場で八一年、七日間連続で開かれた伝説の「志ん朝七夜」は、毎日通って楽屋でも撮影した。志ん朝さんの死後四年の二〇〇五年に出した写真集『志ん朝の高座』(文・京須偕充、筑摩書房)は、撮りためた五千枚以上の中から収録作品を選んだ。
 昨年十月に他界した柳家小三治さんは、長年撮り続けた一人。若い頃、十八番の「小言念仏」に思わず笑ってしまい、シャッターを切り損ねたこともある。今回の写真集に収めた四枚のうち一枚は、小首をかしげたまま目だけ上の方を見て、左手でこめかみのあたりをかくようなしぐさをした絶妙の瞬間。「小三治師匠はこういう『間(ま)』がいいんですよね」と笑う。
 落語協会会長の柳亭市馬さん(60)が本書に寄せた文章に、横井さんの仕事ぶりが浮かぶ一節がある。「そこに居て当たり前の、空気のような存在の横井さん」。間もなく八十五歳になる現在も、記者会見の取材や落語会の撮影、演芸専門誌「東京かわら版」の連載などをこなす。
 それでも、この道約五十年の大ベテランは「いまでも毎日研究です」と言う。演目を確認するため、落語事典を引くこともあるそうだ。「毎日毎日、一期一会でいい写真を撮りたいために、やっぱり、努力しているんです」 (北爪三記)

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