<ふくしまの10年・行ける所までとにかく行こう> (1)震災2日後 双葉町へ

2020年4月21日 02時00分

崩落したJR常磐線の鉄道橋。毎時6.3マイクロシーベルトと非常に高い放射線量だった=福島県双葉町で(豊田直巳さん提供)

 二〇一一年三月十一日、写真家の豊田直巳さん(63)は東京・新宿の喫茶店で旧ソ連のチェルノブイリ原発事故のドキュメンタリー制作に向けた準備作業中に強い揺れを感じた。その時点では、まさか「チェルノブイリに重なる現実を、日本国内で取材し続けるとは思ってもみなかった」。
 東京電力福島第一原発が緊急事態だと知り、取材機材を準備し、翌十二日午前に自家用車で福島に向けて出発した。
 イラクなどで劣化ウラン弾問題を取材するため線量計は持っていた。安定ヨウ素剤もある。同行の仲間がリビア取材に備え衛星電話をレンタルしていた。農薬散布や塗装作業で使うマスク、使い捨てのかっぱ、寝袋も積み込んだ。
 高速道路は一般車両は通行止めで、ひたすら国道4号を北上。1号機が水素爆発を起こしたと車のラジオで知った。このまま現地に行くのか-。迷いはあったが行ける所までとにかく行こうと決意し、その夜は福島県郡山市のホテルが開放してくれていた大広間で夜を明かした。
 既に避難指示が原発二十キロ圏まで拡大。翌朝、都路(みやこじ)街道と呼ばれる国道288号に入り、海を目指した。警察も自治体も対処が間に合わないのか、何の規制もなく、原発がある大熊、双葉両町に入れてしまった。
 双葉町の前田川にかかるJR常磐線の橋が、都路街道の上に崩落していた。車一台が通り抜けられるすき間があり、そこを住民たちの車が次々と山側へと避難していく。ここで初めて線量計を取り出した。
 毎時六・三マイクロシーベルトあった。都内なら〇・〇五マイクロシーベルト前後だから異常な値だ。劣化ウラン弾が命中した戦車で三マイクロシーベルトを測ったことはあるがその二倍はあった。 (山川剛史が担当します)

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