ポーランドと100年の絆 渋谷の社会福祉法人が古都クラクフでウクライナ難民支援 大正期に孤児受け入れ

2022年4月14日 06時00分

福田会の園庭で撮影したポーランド孤児たちの写真=1920年、日本赤十字社提供

 ロシア軍のウクライナ侵攻で祖国から逃れた難民の多くが長期の避難生活を強いられる中、東京都内で児童養護施設などを運営する社会福祉法人福田会(渋谷区広尾)がポーランドで支援活動に取り組んでいる。同会は100年前、戦乱で親を失ったポーランド人孤児を受け入れた縁がある。同会は「100年が過ぎて、再び戦火に追われた人を支援することになるとは」と話している。(出田阿生)
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 ウクライナの隣国ポーランドには、国外避難民最多の267万人が押し寄せている。「ポーランドの市民は懸命にウクライナの人々を助けている。ただ戦争が長期化し、受け入れ側も物心ともにギリギリのようです」と明かすのは、福田会で広報を担当する我妻みずきさん。市民やボランティアが避難民を自宅に泊めていたが、食費や医療費などの負担が重く、多くの避難民が路上生活を余儀なくされているという。
 同会はポーランドの古都クラクフに支部を置き、日本人スタッフらが食糧や衣服、医薬品などを避難所に寄付したり、ウクライナ料理店と提携して温かい料理を提供したりしている。資金は募金やクラウドファンディングで賄っている。「ポーランドでの人道支援なら武器購入に使われず安心」と既に5000万円超が寄せられ、子ども約100人が避難してきたクラクフ近郊の児童養護施設には、不足する調理器具を寄付した。
 同会とポーランドとの縁は100年前の大正時代にさかのぼる。第1次大戦後の混乱が続いていた1920年、日本赤十字社が人道支援事業の一環で、シベリアで過酷な生活を強いられていたポーランド人孤児375人を船で日本に輸送。孤児全員が東京の同会に約2カ月滞在し、米国経由で祖国へ帰還した。
 当時、ロシアの支配にあらがったポーランド人の多くがシベリアに流され、中でも身寄りを失った子どもたちが酷寒と飢えに苦しんでいた。そのため現地のポーランド人らが「子どもたちだけでも救って」と日本の外務省に直訴した。シベリア出兵で財政難だった政府は日赤に救助を依頼し、2週間後には受け入れが決まった。
 孤児の滞在時は、同情した日本の人たちからおもちゃやお菓子が贈られ、皇族も慰問に訪れた。孤児らが「君が代」や「うさぎとかめ」を覚えたての日本語で歌ったという記録も残る。

駐日ポーランド大使は漢字で書かれたこの表札を見て、孤児受け入れの施設だと気付いたという=東京都渋谷区で


 孤児の話は日本では歴史に埋もれてしまったが、ポーランド国内では語り継がれていた。2010年、当時の同国駐日大使がジョギング中に「福田会」の看板を見かけると、「孤児たちが世話になった施設では」と同会に連絡。施設側にその歴史を知る人はいなかったが、大使から詳しい話を聞いたことがきっかけで、あらためて交流が始まった。以来、同国大統領や夫人が訪れて桜を植樹したり、2011年の東日本大震災時には被災地に支援金が寄せられたりしている。
 1920~22年に日赤が救出したポーランド人孤児は、当時1~16歳の計765人。全員が亡くなっているが、その子孫が今も日本を訪れるという。我妻さんは「ポーランド人孤児の受け入れで始まった交流の歴史をつなぎながら、できる限りの支援を続けたい」と力を込める。

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