<ふくしまの10年・小高にあった「ラーメン大将」> (1)目に異変「中華」断念
2020年4月14日 02時00分
前シリーズ「お先に花を咲かせましょう」(三月三十一~四月十一日)では、福島第一原発事故で約五年間避難指示が出ていた福島県南相馬市小高区に戻って暮らす人々の姿を追った。一方で戻ることを諦めた人たちも大勢いる。建物が解体された空き地一つひとつに、かつて暮らした人々の思いが宿っている。
小高区大井の国道6号沿いの、今は草が生い茂る空き地の一角に「ラーメン大将」はあった。原田宗雄さん(76)、幸子さん(64)夫婦が、一九八二(昭和五十七)年七月に開店した。
国道6号は東京・日本橋を起点に福島などを経て仙台に至る幹線道路だ。ラーメン大将ができたころは周囲にお店は少なかったという。車で買い物や食事にでかける生活習慣が地方都市にも広がり、6号沿いにも量販店が増えていった。店も商売で国道を行き来する人や、地元の常連でにぎわった。
ただ本当に開きたかったのはラーメン店ではなかったという。宗雄さんはもともと同市原町区で中華料理店「香港」を営んでいた。大家の都合で立ち退きを余儀なくされ、見つけた新天地が国道6号沿いだった。
当初の構想では「その当時出始めていたファミレスみたいに」(幸子さん)、家族連れが車で来てくれる中華料理店。設計図も作った。しかし若いころに網膜剥離で手術をした宗雄さんの目に再び、異常が起きていた。どんどん見えなくなる中、幸子さんが料理を出せるラーメン店に変更したという。
「中華料理店をやらせたかったですよ。『香港』をやっていた時に『いわき以北天下一品』と名刺に書いていってくれたお客さんもいたんです」。幸子さんがそう言うと、宗雄さんも「残念だったね、本当に」とつぶやいた。(早川由紀美が担当します)
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