「つま恋」「全国ツアー」「フォーライフ」……。吉田拓郎、本紙に語る

2022年4月17日 09時00分
 2022年3月末、本紙はアルバム制作、コンサート活動からの撤退を決意した吉田拓郎(76)にインタビューを行った。話題はラストアルバム、伝説のライブ、国内初の単独全国ツアーなど多岐にわたり、日本のポップミュージックの歴史に大きな足跡を残した当事者でなければ話せない証言が多数飛び出した。東京都内の音楽スタジオで、最後のスタジオアルバム制作の合間に行った取材は1時間半にも及び、紙面に収容できたのは一部。収容できなかった部分を含めて全容をウェブで紹介します。なにゆえ第一線から退くのかなど、その〝ラストメッセージ〟をご堪能ください。(上田融)

ライブでギターを演奏する吉田拓郎=エイベックス提供

◆ラストアルバムは「入魂の一作」

 ―パーソナリティーを務めるニッポン放送の「オールナイトニッポンGOLD」で、アルバムが「入魂の作品」になると語った。
 50数年前に広島から出てきて、長い音楽人生が送れた。自分へのご褒美と、応援してもらった人への感謝、これからの日本のポップミュージックというか、僕たちが1970年代に意気込んでいたものの集大成が作れるのであれば、人生のラストアルバムということでやってみようと思って。去年ぐらいから詞を書いたり、曲を作ったりを始めていた。
 50歳の時(1996年)に(フジテレビの音楽番組『LOVE LOVEあいしてる』で)KinKi Kidsの2人(堂本光一、堂本剛)と知り合い、僕の生身の人生に彼らがすごく影響を与え、そこから人生観も変化し始めた。ラストアルバムが作れるのであれば、彼らに協力をお願いできないか。まず頭に浮かんだのはそこだった。
 2人に相談すると快く承諾してくれた。そこから、われながら不思議なスイッチが入った。詞やメロディーがすらすら浮かぶ。あっという間にどんどん曲ができ、信じられないスピードでアルバム1枚分ぐらいができた。若い頃から何十年もやってきたのとは違う感覚で音楽に接している、そういう気がして。これが「入魂の一作」ということになるのかとか思い始めた。
 ―「コロナ禍」とか、「ラストアルバムだから」という意識があって気持ちが入った?
 どうかな。それもあるかもしれない。コロナというストレスがたまる日常生活を送っているからこんな詞が生まれたのかもしれないし、自粛とか慣れない日常を我慢しないといけないので鬱憤(うっぷん)のようなものが爆発したのかもしれない。ただとっかかりはあの2人。アルバムのスタートのピストルを鳴らしてくれた。僕の後半の人生はあの2人に全部集約されていると思う。
 ―アルバム「ah-面白かった」のタイトルの由来は
 僕も家内(俳優の森下愛子)も母親に女手1つで育てられた。母親は(どちらも)天国に行ってるから、よく家内と2人で亡き母の話をお互いにしたりして。日本では女性の就職などがまだまだ考えられない時代。でもそうした苦労や悲しみを、僕の母も家内の母も、あまり口にしたことがない。どちらかというと明るく生き抜いたイメージが強い。「つらい」「悲しい」というのはほとんど聞いていない。
 そんなときに、家内があるドラマに出演した。宮藤官九郎さんが書いた「ごめんね青春」(TBS系、2014年)。そこで主人公の母親を家内が演じた。明るいお母さんだが、ある日若くして突然亡くなる。息を引き取る瞬間に、酸素吸入器をつけたまま、ひとこと「あぁ面白かった」と語った。
 「なんてすてきな生き方を、残っている家族に言葉で残して天国へ行ったんだろう」というのが染みてきた。僕も家内も「(この世から旅立つとき)あぁ面白かった」って言いたいね、という話になって。そこから家内と「もしかしたら僕の母も、君の母も『あぁ面白かった』って言ったかもしれないね」という話になった。僕たちは母の死に際に立ち会っていないが。「あぁ面白かった」といって自分を終了させる、なんてすてきな言葉なんだろう、ということになった。
 まず「ah-面白かった」という曲を作りたい(と思った)。僕の音楽人生は、苦しいことや嫌なことをいっぱい体験したが、総じて「あぁ面白かった」なんじゃないの、というところに到達した。そしていろんなことがトントンと進み、これはもう、「ah-面白かった」というアルバムになった。
 アルバムジャケットのタイトルは光一が書いてくれた。
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