「つま恋」「全国ツアー」「フォーライフ」……。吉田拓郎、本紙に語る

2022年4月17日 09時00分

◆難しくなった「気持ちのいいシャウト」

 吉田拓郎の歌の最大の特徴の1つが強烈なシャウトだ。1970年代の代表曲とされる「落陽」や「春だったね」、80年代に入ってからも「アジアの片隅で」などですさまじいシャウトを見せつけ、コンサート会場を大いに沸かせた。第一線を退く理由として、自らの声の問題を挙げた。
 東京に出てきた時、フォークソングというブームがあって、その中に入っていたので、フォークシンガーということになっちゃったけど、本来、僕はソウルシンガーだと自負している。曲の中では気分に乗って、ライブでは特にシャウトしたくなる。そういうものを気分よくできないステージを、いつまでもやりたくない、というのがある。
 アマチュアで広島でやっている頃から、シャウトができないってのはつまんねえなぁというのがあった。それは日本のポピュラーミュージック全体に通じて僕が思っていることで、シャウトができないシンガーってのはあまり認めたくない。自分もそれになっちゃったら、それはやっぱり限界じゃないかなと思う。
 うまく歌うこととか、きれいに歌うことは年齢に関係なくやれると思う。しかし、シャウトは難しい。それは大きな壁だ。
 ―ライブではなく、スタジオで1曲ならシャウトできるのでは?
 今回のアルバムもシャウトを若干しているが、あまりすてきじゃない。シンガーが叫んだ時にゾクッとするのがシャウトの醍醐味。それがだんだんなくなりつつあるな、というのを感じる。2019年に最後のツアーをやったが、そこで感じた。シャウトしたが、若い頃の気持ちのいいシャウトじゃない。それができないっていうのは、僕は自分の限界だと思う。
 でもこれは僕流の判断、僕だけの話。他の方がどう思っているかは全然知らない。僕は自分の限界はそこだと思っている。自分らしくなくなる、というのはよくない。自分らしくありたいし、自分らしさを自分で分かっている限りは、その「らしい」ところがなくなりつつあると感じたら、それは身を引こうかな、というのがある。
 ―シャウトを一番気持ちよく出せた時期は?
 うーん、(2003年に)肺がんの手術をして完治し、瀬尾一三(いちぞう)らとビッグバンドを組んで、ツアーをやった。あの時代が一番絶頂、絶好期だったのではないか。06年につま恋(静岡県掛川市)のコンサートもあったからあの辺だ。(シャウトしにくくなった原因は)年齢だ。間違いない。普通76歳だったら歌えないよ(笑)。
 ―あなたは80年代、「自分の声は若い時(70年代)より今の方が好きだ」と話していた。
 若い時の声は、あれは二度と出ない声、という意味ではいい。徐々にシンガーっていうのは歌がうまくなる。表現力がついてくる。若い時は突っ走っているという、これはまた違う意味でのものすごい魅力があって、年を取ってくると絶対できないパワフルな魅力があるが、30歳を過ぎると少しテクニックを覚え、例えばラブソングを歌うと、とても味が出てくる。
 声の出し方は30代、40代の方がうまかったと思う。その年代年代で特徴があって、いいところ悪いところがある。歌がうまくなったというのは40代ぐらい。「俺、歌下手だよな」とか思っていたから。ツアーで、うまくなっているなと思った。

◆もうツアーはしない

 ―ライブは、今後は単発もない?
 コンサートツアーはまず絶対にない。レコーディングもないと僕は踏んでいる。ただ、僕は音楽が好き。音楽を愛していて一生の友達だと思っているので、その友達とは一緒にいたい。だからどこかで何か歌う可能性はある。ただそれは人前なのか、人には見せないのか、知り合いだけ呼んで歌うのか、例えば誰かの結婚式で歌うのか、そういうのはあるんじゃないかなという予感はしている。
 ―もしや次のアルバムが?
 皆さんが期待されているようにはならない。そこだけは自信がある。
 ―ファンは最後に一度コンサート会場で会いたいと思っているが?
 それはね、僕が70年に東京に出てきてから、ずっとファンとの間に持っている一つの強いイメージとして「ほっといてくれ」と言いたい(笑)。僕はファンという人をあまり信用していないし、彼らも僕を信用していないと思っているので、お互いそんなことは言いっこなしだなと思う。三波春夫さんのように「お客さまは神様です」とは、僕は絶対に思っていない。泉谷しげるの言葉を借りれば「客だと思って偉そうにするな!」。そういうのが僕は好きだ(笑)。

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