<カジュアル美術館>川合玉堂《栃若葉》 山水画と写実性の融合 玉堂美術館 

2022年4月16日 06時30分

1956年 紙本彩色 60.4×74.4センチ 玉堂美術館寄託品

 日本の山河を愛した川合玉堂(一八七三〜一九五七年)は、太平洋戦争で東京・奥多摩に疎開し、終戦を迎えた。七十歳を過ぎていた玉堂はそのままとどまり、現在の青梅市御岳(みたけ)に一軒家を借り受けた。多摩(たま)に玉(たま、玉堂)が偶々(たまたま)見つけたので「偶庵(ぐあん)」。ユーモアのセンスで名付けた庵(いおり)が終(つい)のすみかとなった。
 御岳に移り住んだ玉堂は、水と緑が織りなす奥多摩の山あいに暮らす人々と、身近な動植物を好んで描いた。「栃若葉」もここで生まれた傑作の一つ。青々としたトチの若葉と筧(かけい)の流水は、見ているだけですがすがしい気分になる。周辺はわき水が豊富で、かつてはどの家も水路を引いて水車を回したり日用に使ったりしていたという。初夏の日常をスケッチした一こまなのだろう。

◆風景表現に新境地

 若いころから各地を旅して相当な量の写生を繰り返した玉堂。御岳でも、早朝からスケッチブックを手に散歩することが日課だった。自身の描画について「景色はすっかり写生しつくして頭に入ってしまっている」と語っており、写生は風景を記憶に焼き付ける作業だったことを明かしている。
 対角線に走る筧が画面を二分割する斬新な構図に目を奪われるが、「この絵の見どころは、黒の部分」と玉堂美術館(同市)主事の小澤芳郎さんが教えてくれた。玉堂のひ孫にあたる。シラサギの足の濃い黒から、筧の側面の、水が透けて見えるような薄い黒。「墨の微妙な濃淡だけでさまざまに描き分けています」。山水画の表現を極めた日本画家の真骨頂だ。
 明治六年に現在の愛知県一宮市の豪族の家に生まれ、八歳の時、一家は岐阜市に転居する。長良川に抱かれた濃尾平野を父と散策し、風景画家の素質を磨いた。小学校卒業後、京都に出て研さんを積んだ後、上京。狩野派の筆致を会得し、山水画の世界観の表現に挑み続けた。

《朝江炊煙》1903年 絹本水墨 70×114センチ 玉堂美術館所蔵

 「朝江炊煙」はその頃の作品。墨の階調だけで手前の川岸から奥の山並みまで表現する水墨画だが、どこかモノクロの風景写真のようで臨場感がある。架空の深山幽谷を描く山水画の筆法に写実性を融合させ、風景表現に新境地を開いたのが玉堂だった。
 官展の審査員を務め、また東京美術学校で教えるなど、大正から昭和戦前期に東京画壇の中心人物として活躍した玉堂。御岳での晩年は、村民から収穫物の野菜をもらっては、礼に絵を描いてあげるなど、すっかり村に溶け込んでいたという。玉堂が亡くなると、「先生」をしのぶ地元有志をはじめ全国のファンらが寄付を集め、本人が愛してやまなかった御岳の地に同美術館が建てられた。
◆みる 玉堂美術館はJR青梅線御嶽駅から徒歩5分。「栃若葉」「朝江炊煙」は現在開催中の「薫風展」で展示中。6月19日まで。午前10時〜午後5時(入館は午後4時半まで)。大人500円、中・高・大学生400円、小学生200円。団体割引あり。月曜休館。
 文・栗原淳

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