<原発訴訟 原告インタビュー>(上)事故風化「解決してない」 妻子がさいたま市に自主避難・郡山市の瀬川芳伸さん

2022年4月17日 07時05分

オンライン取材に対し、妻子の自主避難を継続する思いを語る瀬川芳伸さん

 2011年3月の東京電力福島第一原発事故で福島県から埼玉県などに避難した住民らが、国と東電に総額11億円の損害賠償を求めた集団訴訟の判決が20日、さいたま地裁で言い渡される。住み慣れた土地での生活から引き離された精神的苦痛に対する慰謝料や、事故で失った自宅や土地の賠償などを求め、14年3月に提訴。3度の追加提訴を経て原告は96人になった。原発事故によって日常はどのように変わったのか。判決を前に、原告2人に思いを聞いた。
 福島県郡山市で中学校の美術教師をしている瀬川芳伸さん(60)は、12年6月から妻子をさいたま市に自主避難させ、週末などに会いに行く二重生活を送っている。心身や経済的な面での負担は大きいが、廃炉作業が続く福島第一原発への不安が拭えず、家族が福島に戻ってくる予定はない。「世間では原発事故への関心が薄れているように感じるが、まだ全く解決していない」と訴える。
 11年3月の原発事故で郡山市に避難指示は出なかったが、局所的に放射線量が高いホットスポットが市内にあったことから、被ばくを恐れて妻子を自主避難させることを決意。近くに妻(47)の友人もいるさいたま市を避難先とした。現在、妻と小中学生の息子4人は国家公務員住宅で暮らしている。
 仕事を終えた金曜夜に車を運転してさいたま市へ向かい、家族と過ごしたり、日常生活の雑用をこなしたりして、日曜夜に郡山市へ戻る、それらの繰り返し。心臓病を患う瀬川さんにとって、片道3時間の距離を毎週のように行き来する負担は小さくない。
 二重生活を始めてから10年がたとうとしており、貯金は目に見えて減った。今年4月に定年退職時の退職金が入ったが、「子どもたちの今後の学費を考えると心もとない」とこぼす。また、新型コロナウイルスの感染拡大以降は家族と会える機会が減り、神経系の指定難病がある妻の家事や育児の負担も大きくなっている。
 最近は家族のことを同僚に話すと「まだ避難しているの」と驚かれることもあるといい、福島県内ですら「原発事故がどんどん風化している感じがする」。東電のロードマップでは福島第一原発の廃炉が完了するのは41〜51年とされている。福島県内では昨年2月や今年3月に震度6強の地震が起きており、「壊れかけの危険な原子炉が近くにあるのは怖い」と瀬川さん。「また同じような放射能事故が起こるかもしれない」と、家族の自主避難を続ける考えだ。
 裁判で原告側は、原発事故前に国は原発への規制を怠るなどし、東電は炉心損傷を引き起こすような重大事故への対策を怠ったと指摘。瀬川さんは15年8月の追加提訴で加わった。将来、子どもに「原発事故が起こって、お父さんはどんなことをしたの」と聞かれた時に恥ずかしくないよう、「原発事故の時に何が起こったかや、事故を防ぐためにどうすべきだったかを検証する場にしたい」との思いからだった。
 しかし、裁判での国や東電の対応には不信感を募らせる。「国も東電もこちらの質問をのらりくらりとかわし、何の答えも引き出せなかったように感じる。自分たちの生活を考えてくれているとは思えない」
 望んで始まった生活ではないが、息子たちは今、多くの友人に恵まれている。せめて経済的な負担が軽くなればと願い、「さいたま市で生まれた四男(7つ)が高校を卒業するまで、ほそぼそとでいいから妻子が市内で暮らせるようにしてほしい」と判決を待つ。(杉原雄介)

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