原発事故から18カ月 病に倒れるまで遺した喪失の叫び 福島・大熊町の歌人佐藤祐禎さん歌集「再び還らず」

2022年4月18日 07時00分
 東京電力福島第一原発事故で、全町避難を強いられた福島県大熊町。この町で生まれ育った歌人佐藤祐禎ゆうていさん=2013年3月に84歳で死去=は、避難後に病に倒れるまでの18カ月間で3000首以上もの歌を詠んでいた。故郷を奪われたことへの叫び、政府、東電への怒りと絶望、そして無力感-。そのうち約700首を収めた歌集「再び還らず」には、日々の出来事とその時々の思いを残そうとした強い意志が宿る。(小川慎一)

2013年に亡くなった佐藤祐禎さん(12年初めごろに撮影、いりの舎提供)と歌集「再び還らず」

≪突然の揺れに思はず地に伏せば目前の舗装たちまちに裂く≫
 11年3月11日に東日本を襲った大地震の状況から、歌集は始まる。
 50代で短歌を始めた佐藤さんは福島第一から南4.5キロの地で、専業農家として暮らした。地域の役職も務め、町会議員を目指したこともあったが、農業をしなくなることを心配した家族が反対したという。
 「祐禎さんは何でものめり込んでしまうところがあったから。そこで何かやっかと始めたのが短歌だったそうだ」。佐藤さんが主宰していた水流短歌会の吉田信雄さん(85)=大熊町から避難、福島県いわき市在住=は話す。
 「おやじが書いた短歌がいっぱいあるんですよ」。佐藤さんの遺族が2年前、ノートやパソコンのデータを吉田さんに託した。数えてみると3000首以上あり、水流短歌会の会員らと「12年8月」まで月ごとに計約700首に絞った。
 避難でばらばらになっても、佐藤さんは「歌つくってか?」と歌会の会員を気にし、頻繁に電話をかけたという。吉田さんは「いちずで温かい人だった」と振り返る。16年4月に再開した水流短歌会は、コロナ禍で集えない中でも紙上で活動を続けている。

吉田信雄さん=福島県いわき市で

◆短歌で訴えてきた原発への疑念と脅威

≪原発の危険訴へて来しことも一切空となりにけるかな≫
 佐藤さんは原発への疑問を詠んできた人でもある。福島第一1号機の建設に携わり、手抜き工事を目にしたことが原点だった。04年に自費出版した「青白き光」は、福島事故後に「予言のようだ」と反響があり、東京・下北沢の出版社「いりの舎」が11年末に文庫で再版。今回の歌集も同社が今年3月に発行した。
 「短歌をつくることがよっぽど支えになっていたと思う」。いりの舎を夫と設立した歌人三原由起子さん(43)=福島県浪江町出身=は、佐藤さんが短期間に多くの歌を詠んだ理由に思いを巡らす。
 三原さん自身、原発事故への怒りや疑問を書かずにはいられなかった。「現実を今残さないと。後に思い出として美化してしまうこと、なかったことにされてしまうのが嫌だった」

三原由起子さん=福島県浪江町で(本人提供)

 佐藤さんは避難先のいわき市で「第2歌集を作る」と張り切っていた。しかし、12年9月に倒れ、翌年3月12日に亡くなった。大熊町の全町避難指示からちょうど2年の日だった。
≪原発への恨みつらみも詠みつくしこんどは本当の歌を詠まむぞ≫
 11年6月につづった佐藤さんは、翌年2月にこう詠んだ。
≪原発の歌はそろそろ止めようと思へどそこより一歩も出でず≫
 佐藤さんの死後、全国で原発10基が再稼働した。生きていれば、老歌人はどんな歌を詠んだろうか。倒れる前の歌にこうある。
≪原発と国に立ち向かふ気力なく彼らのいふままに流されゆかむ≫
 「再び還らず」は212ページ。税込み1980円。問い合わせは、いりの舎=電03(6413)8426=へ。いりの舎のウェブサイトからも購入できます。

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