<新型コロナ>警察、戦前は防疫担う 首相、協力要請の可能性言及で物議

2020年4月9日 16時00分

弥生慰霊堂には、防疫活動で命を落とした警察官ら殉職者がまつられている=東京都千代田区の北の丸公園で

 新型コロナウイルスの感染拡大に伴い緊急事態宣言が発令され、安倍晋三首相らが外出自粛要請などで警察の協力に言及したことが議論を呼んでいる。現在の防疫業務は政府と地方自治体が当たるが、戦前は感染症対策も警察の重要任務で、多くの犠牲者も出ていた。 (木原育子)
 一八八六(明治十九)年に国内でコレラが大流行し、東京府内(当時)では七~九月の三カ月間に九千八百七十九人の死者を出した。現在の東京都民に換算すると、十一万人が亡くなる割合だ。
 「一(ひと)たび伝染病が蔓延(まんえん)すると、その防圧には昼夜の別なく必死の活動を続けねばならなかった」。警視庁史明治編にはそう記され、「その惨状は目をおおわすものがあって、市民を極度の恐怖に落入(おとしい)れた」と伝えている。
 警察行政は戦前、特別高等警察を所管する「警保局」や、地方行財政を担当する「地方局」を持つ内務省に管轄された。防疫は警保局の仕事で、感染症が流行すれば、現在の厚生労働省のように対策や予防広報などで活動した。
 警視庁によると、明治時代に防疫活動中に亡くなった警察官は少なくとも百十五人に上り、北の丸公園内(東京都千代田区)の弥生慰霊堂に鎮魂されている。
 一九二九(昭和四)年の警視庁内の広報雑誌「自警」には、ある署長が明治時代に体験した防疫活動を回顧している。患者を病院に隔離したり、遺体を運んだりする際に感染することを恐れた警察官たちを鼓舞するため、警察署の玄関に酒が入った大樽(たる)が備えてあったという。当時は珍しかったブランデーでねぎらわれ、「今考えてもぞっとするようなものだった」と振り返っている。
 大正時代も警察官の防疫活動は続いた。警視庁史大正編によると、一九一三(大正二)年のペスト菌の流行時には、日本橋の下水にいたネズミがペスト菌を持っていたことが分かり、警視庁が「捕鼠隊」を組織。一日に八千匹のネズミを捕らえたと記されている。
 一七(大正六)年に入り、スペイン風邪といわれるインフルエンザが流行した際には「マスクをお用いなさい~身の為(た)め人の為(た)め~」「予防注射をなさい~転ばぬ先の杖(つえ)~」などと書かれた「予防心得書」を東京府内の各家庭に配布。百年以上たった現在のコロナ対策を彷彿(ほうふつ)とさせる文言にあふれている。
 元新聞記者で至誠館大の三木賢治教授(マスメディア論)は「警察は当時、現在の厚労省業務も担う内務省の管轄だったため、防疫活動を担ったのは必然だろう。一方で、ハンセン病においては強制隔離政策の最前線で、偏見と差別に満ちた方法で連行していった史実も忘れてはならない」と指摘する。

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