<原発訴訟 原告インタビュー>(下)「ここに住む正当性認めて」 「子ども守る」福島・いわきから避難・毛呂山の河井加緒理さん

2022年4月18日 07時27分

「子どもを守るために避難した決断は後悔していません」と話す河井さん=毛呂山町で

 「自主避難といわれるけれど、好きこのんで避難したわけじゃない。自由な選択肢なんかなかった」。福島県いわき市から避難した河井加緒理さん(40)はそう話す。現在は毛呂山町で、看護師として働きながら高校二年の息子と中三の娘を一人で育てている。
 生まれは埼玉県。家庭の事情で県内を転々とし、高校時代は児童養護施設で生活した。いわき市で結婚。二人の子を出産し、家も建てた。「自分が家庭に恵まれなかった分、わが子にはいつでも帰れる家と、友達が大勢いるふるさとをつくりたかった。ただそれだけが望みだったのに」
 二〇一一年三月の東日本大震災の発生当時は二十九歳。東京電力福島第一原発で水素爆発が起き、大量の放射性物質が漏れ出した。「安全だ」「いや危険だ」−。メディアやネットの情報は両極端だった。いわき市は避難区域外だったが、「とにかく子どもの健康のために逃げなければ」と一家四人で車に乗った。
 最初は栃木県内の避難所に避難。数週間すると、河井さんの夫は仕事の再開でいわき市に戻った。やがて避難所の閉鎖が決まり、河井さんと子どもは埼玉県の親族を頼った後、県内の公営住宅に移った。別居の夫から生活費は送られず、七カ月後に離婚した。
 フルタイムの仕事と孤独な子育てで、心身ともに疲れ果てた。ある日、小学一年だった息子が言うことを聞かず、蹴りそうになった。頭を冷やそうと娘の手を引いて近くのバラ園に行き、ベンチに座って声を上げて泣いた。「何のために避難したんだろう。子どもを守るはずだったのに」
 体調を崩し、目まいがして起き上がれなくなった。そんな状態が二、三年続いたが、「このままじゃいけない」と気力を振り絞った。「人を助ける仕事がしたい」と三十五歳の時に看護学校に入学。四年間の猛勉強で資格を取り、一年前から地元の病院で看護師として働き始めた。
 一五年、追加提訴で原発訴訟の原告として加わることを決意したのは「なぜ自分がこんな目に遭っているのか、理不尽さを法廷で訴えたい。元の生活を返してほしい」という思いからだった。
 東電からのわずかな賠償金は生活費に消えた。それなのに、カーテンを新調しただけで近所の人から「お金がもらえていいね」と心ない言葉をぶつけられた。避難者同士の分断もある。避難指示区域の住民とおぼしき初老の男性に「帰る場所のあるやつは帰れ!」と怒鳴られたことが忘れられない。
 子どもは福島を出てからの生活が長くなり、帰れる場所はもうない。東電と国の責任が認められない限り、自主避難は自己責任になり、偏見のまなざしは続く。「子どもを守りたいと避難し、どうしようもない結果として私たちが今ここに住んでいること。その正当性を認めてほしいんです」
 「過去には戻れないし、起きたことは変えられない。だから前に向かって歩きだしたい」と話す河井さん。その一歩の後押しとなるのかどうかは、二十日の判決にかかっている。 (出田阿生)

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