密室での「自白」誘導はこう行われた 滋賀・呼吸器事件 元事件記者の獄中精神鑑定医に聞く

2020年4月6日 12時28分
 24歳の看護助手だった西山美香さん(40)=滋賀県彦根市=が無実の罪を着せられ、冤罪が晴れるまで16年。取材で見えてきたのは、密室で筋書き通りの「自白」を誘導し、調書の作文も証拠隠しも辞さない捜査の在り方だった。供述弱者はひとたまりもない。獄中で精神鑑定をした小出将則医師(58)に、西山さんが冤罪の罠に絡め取られたプロセスを精神医学の観点からひもといてもらった。(聞き手=編集委員・秦融)

獄中鑑定は周到に行われた。事前に西山さん宅を訪れ、両親の聞き取りをする小出将則医師

 西山さんが取調官に誘導された背景は。

 彼女には軽度知的障害と発達障害があるが、取調官の刑事を信じてしまった背景には、愛着障害も影響している。愛着障害は、主に幼少時に親子の関係がうまく築けないことなどから起こりやすい心の障害。親の愛情に満たされないと感じることから自己肯定感が得られない。それほど珍しいことではない。誰にでも愛着障害に似た感情はある。発達障害のある人は、家族や他人との人間関係がうまく築けないことから、愛着障害を合併しやすい。

 西山さんの場合は。

 優秀なお兄さん二人の存在が大きい。弟妹は兄と比較され、自分はないがしろにされている、と受け止めがち。西山さんも幼少時には近隣の人に、中学校では教師に兄と比較され、傷ついた。そのトラウマを抱えながら大人になった。

◆刑事の思うつぼ

 虚偽供述を誘導されていく経緯との関わりは。

 愛着障害は、あくまできっかけ。最初に刑事に「人工呼吸器のアラームは鳴ったはずだ」と脅され、怖くなって「鳴った」と言った。最初は恐怖心。ところが、「鳴った」といううその供述を境に、刑事が優しくなった。そして、刑事に「西山さんは、むしろかしこい子だ」と、彼女にとっての殺し文句を言われた。愛情に満たされずに生きてきた西山さんは、その言葉で自尊心が守られ、人生で初めて救われたという気持ちになった。「世の中で自分を認めてくれ、信用できるのは、この人しかいない」とまで思った。だから、言う通りにしていれば大丈夫だ、と。刑事の思うつぼだ。愛着障害があるゆえに、術中に簡単にはまってしまった。

再審で無罪となり、井戸謙一弁護士(右)と握手を交わす西山美香さん(中央)=31日午後、大津市で

◆見誤った裁判官

 他人から影響を受けやすい性格や迎合性を認めながら、一審判決では、逮捕前に西山さん自ら呼吸器のチューブを「外した」と話したことを根拠に(本人の意思に基づく)任意性がある、と判断した。

 精神医学的な知見がない裁判官が、素人判断でそのように結論づけるのは、非常に危険だ。精神医学の専門家から、無知が真実を見誤った、と言われても仕方がない。なぜなら、チューブを「外した」と自白し、それを基に刑事が「殺した」という調書を仕立てた日に、西山さんは病院の精神科で「不安神経症」と診断されているからだ。すでに普通の精神状態ではなかった。発達障害の人が不安神経症になると「うつ状態」になりやすい。「外した」と言ったのは、自暴自棄になった結果だ。精神医学的に検証すれば、正常な思考ができる状態だったとは言い難い。

◆板挟みで苦しみ

 西山さんが「外した」と話したのは、なぜか。

 誰にでも、真実は何か、よりも、自分を大切に見てくれる人との人間関係を優先することはある。当時の西山さんは、刑事との関係を最重要視し、依存関係に陥った。だが、「アラームは鳴った」とうそを言ったことで、仲の良い看護師が厳しい取り調べを受けることになり、板挟みになった。何度も警察署に出向いて、証言を撤回しようとしても聞き入れてもらえず、双方との関係を両立するために、すべてを自分のせいにするという選択だ。再審で「当時は逮捕の意味さえわからなかった」と語ったように、社会的にも未熟で、結果を予測できない知的能力に、うつ状態も加わり、自暴自棄になった。

再審で無罪となり、大津地裁前で記者会見する西山美香さん=31日、大津地裁前で

◆人ごとではない

 取り調べ中に自分が犯人に仕立てられていく危険に気づくことは。

 密室で被疑者と特殊な信頼関係に持ち込むのが、日本の古典的な捜査手法だとすれば、抜け出すのは普通の人でも難しい。刑事が「あの弁護士はおかしい」と言って、家族とも会わせない。人間関係を寸断され、頼る相手は取調官だけと思い込まされるのだから。誰にとっても人ごとではない。司法の問題は、供述弱者だけでは済まない状況があるが、まずは、供述弱者の人権を守ろうとする感性を育てること。それが、すべての人の人権を守り、冤罪を防ぐことにつながる。
 こいで・まさのり 精神科医師。1961年愛知県生まれ。84年、中日新聞社に入社し東京社会部で検察庁や宮内庁を担当。91年に退職し、信州大医学部入学。卒業後、名古屋第二赤十字病院、星ケ丘マタニティ病院勤務などを経て、2014年、一宮むすび心療内科(同県一宮市)を開業。17年に取材班の依頼で受刑中の西山美香さんの精神鑑定を実施。虚偽自白を精神医学的に分析した意見書を再審法廷に提出した。3月まで本紙生活面でコラム「元記者の心身カルテ」を執筆。
(2020年4月5日朝刊特集面に掲載)

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