横浜赤レンガ倉庫 開業20年 「廃虚」から観光スポットに イベントも定着

2022年4月22日 07時18分

オープン20年を迎えた横浜赤レンガ倉庫=いずれも横浜市中区で

 横浜港に臨む観光スポット「横浜赤レンガ倉庫」が今月、開業から二十周年を迎えた。明治末期から大正初期に造られたレンガ造りの倉庫は、昭和の終わりとともに役割を終えたが、文化・商業施設となった今も面影を保ち続ける。来月の大型連休明けから改修工事のため順次休館するが、その間も恒例となったイベントは屋外の広場で開催し、港のシンボルとして歴史を刻んでいく。
 長さ七十六メートルの一号館と、百四十九メートルの二号館からなる三階建ての赤レンガ倉庫。一号館は二、三階に展示スペースやホールが入り、一階には土産物店など約十店舗。二号館には飲食店や雑貨店など約五十店舗が集まるが、倉庫の面影を守るため、外壁に看板などは掲げていない。出入り口に小さな案内板があるだけだ。

商業施設が入る二号館。館内も倉庫だったころの雰囲気が残る

 建物内も雰囲気が大切にされている。「テナントには、壁のレンガを60%以上むき出しにしてもらうルールがある」。商業施設を運営する株式会社横浜赤レンガの五十嵐光晴社長(49)は説明する。
 幕末の一八五九年に横浜が開港。明治から大正にかけて新港埠頭(ふとう)が建設され、国の税関施設として赤レンガ倉庫が造られた。一九一一年に二号倉庫(現二号館)、二年後に一号倉庫(現一号館)が完成。国内初の荷物用エレベーターやスプリンクラー、防火扉などを備え、葉タバコや羊毛、洋酒などを保管。文明開化した日本の貿易を支える拠点となった。

国の倉庫として使われ始めたころの赤レンガ倉庫(横浜市提供)

 当初は二棟同じ大きさだったが、二三年の関東大震災で一号倉庫は半壊。半分の長さで修復された。太平洋戦争後は米軍に接収され、解除後は再び倉庫に。だが、大型コンテナ船への対応力などで他の埠頭に押され、取扱量が激減。解体も想定されたが、八〇年代にみなとみらい21(MM)地区の開発が始まると、倉庫の歴史と景観を生かしたまちづくりが検討された。
 「コウモリが飛んで、廃虚のようだった」。元横浜市職員の金綱武志さん(70)=写真=は、当時の記憶をたどる。市は九二年、倉庫としての役割を終えた二棟を国から取得。MMの開発担当だった金綱さんは赤レンガ倉庫の担当課長として「港の歴史を伝え、文化を創造する空間」をつくる役割を任された。目指したのは、残すだけでなく、にぎわいの場としての再生。「国との交渉に十年、保存活用の工事に十年。開業までに二十年もかかった」
 開業にこぎ着けた二〇〇二年度の来館者は七百二万人。伸び悩んだ時期もあったが、〇四年に横浜高速鉄道みなとみらい線が開通。一三年から、乗り入れ先の東急東横線と東京メトロが直通運転を開始するなど、アクセスの向上も背景に、一九年に累計来館者が一億人に達した。昨年はJR桜木町駅前と新港地区を結ぶロープウエーも開通した。
 開業翌年に始まった秋のオクトーバーフェスト、五周年記念でスタートした春のフラワーガーデン、冬の恒例のクリスマスマーケットなどのイベントも定着。金綱さんは「雰囲気を守りながら、理性的な運営を引き継いでもらっていると思う」と喜ぶ。

◆来月、連休明け順次休館

 一世紀余りを経て、昨年は外壁のレンガを補修。今年は五月九日から商業施設を、六月から一号館の文化施設を休館し、十二月ごろまで空調設備などの工事を行う。ただ、恒例イベントは屋外の広場で続けるほか、新たにアーバンスポーツの祭典を六月に予定。人出の減ったコロナ禍からの回復も目指す。五十嵐社長は「MMの集客の核としてにぎわいづくりが使命」と話す。
 文・神谷円香/写真・五十嵐文人、神谷円香
 ◆紙面へのご意見、ご要望は「t-hatsu@tokyo-np.co.jp」へメールでお願いします。

関連キーワード


おすすめ情報

TOKYO発の新着

記事一覧