「命のビザ」杉原千畝の精神見習いウクライナ難民支援を…研究者の名城大教授が募金呼び掛け

2022年4月22日 11時29分

ウクライナ国旗を手に「『命のビザ』とともに募金も人道の一つ。多くの人に知ってほしい」と話す稲葉教授=名古屋市東区の名城大で

 ロシアの侵攻が続くウクライナから難民が押し寄せるリトアニアを支援しようと、名城大(名古屋市)の稲葉千晴教授(64)らが募金活動を始める。稲葉教授は、第2次世界大戦中にリトアニアでユダヤ人難民に「命のビザ」を発給した外交官杉原千畝ちうねの研究者。現地の研究者からウクライナ人難民を支援する団体の窮状を聞き、募金の準備に奔走している。(出口有紀)

◆受け入れ国リトアニアの窮状聞き

 ロシアが侵攻した2月24日、稲葉教授はリトアニアのビリニュス大で、杉原に関するシンポジウムに出席していた。研究仲間で同大客員教授のシモナス・ストレルツォーバスさんが「戦争が始まって難民が来る。大変なことになる」と話したことが、心に引っ掛かった。
 3月中旬に帰国すると、シモナスさんにメールで募金を提案。「素晴らしい。貧しい国なので助けが必要」と返信があった。リトアニアでは難民への住居のあっせんや食事、衣服を提供する各自治体の社会福祉協議会(社協)の財政が逼迫ひっぱくしているという。早速、ゼミの学生約10人と募金箱を作成。今月23日から名古屋市内の街頭で募金活動を始める。

募金箱を作り、街頭活動の準備をする名城大の学生たち=名古屋市東区で(稲葉教授提供)

 難民支援について、稲葉教授は第2次世界大戦を振り返り「千畝がユダヤ人難民を救った話は素晴らしい」としつつ、「救うにはお金や協力機関も必要。『命のビザ』だけでは現実味がないことも知ってほしい」と話す。
 大戦が始まった1939年9月以降、ユダヤ人難民はドイツからポーランドを経てリトアニアに来た。だが、杉原がその境遇に同情し、日本政府の意に反してビザを大量発給する翌年7、8月まで、難民たちは冬を越す必要があった。

リトアニア・シャウレイ広域市の難民センターに、難民申請のために訪れたウクライナ人ら(同市社会福祉協議会提供)

 氷点下の寒さから難民を救ったのはリトアニアの自治体などだ。約3万人に住居を提供した。米国のユダヤ人団体による寄付金も日本への渡航に役立った。
 今回、リトアニアには4万人の難民が来ているという。「テントでは寒さをしのげない季節。住民がボランティアで家に難民を受け入れているが、長期間になると互いに疲弊する」と稲葉教授。「アパートの用意にも資金が必要。あっせんする社協を支援すれば、必要なものを早く届けられる」と言う。5月中には、シモナスさんが住むシャウレイ広域市の社協に寄付したい考えだ。
 寄付は振り込みでも受け付ける。「杉原千畝ウクライナ難民募金代表稲葉千晴」で、十六銀行天白支店、普通口座1085736。問い合わせは同募金事務局=メールchiuneguide@yahoo.co.jp=へ。

 杉原千畝 1900年、岐阜県生まれ。39年にリトアニア・カウナスの日本領事館に赴任。40年、ナチス・ドイツの迫害から逃れてきたユダヤ人難民に、一定金額所持などの条件を満たさなくてもビザを発給した。難民たちは日本を経由して米国などに渡ることができ、後に「命のビザ」と呼ばれる。杉原は47年に帰国したが、外務省を退職。86年に亡くなった。

 リトアニア 1990年に旧ソ連からの独立を宣言し、2004年に欧州連合(EU)と北大西洋条約機構(NATO)に加盟したバルト三国の1つ。首都はビリニュス。人口は広島県とほぼ同じ約280万人、面積は東北6県とほぼ同じ約6万5000平方キロメートル。杉原千畝による「命のビザ」発給から80年の20年には、さまざまな行事が催された。


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