<ふくしまの10年・お先に花を咲かせましょう> (2)歴史の残り香消えた

2020年4月1日 02時00分

双葉屋旅館4代目の女将、小林友子さん=福島県南相馬市小高区で

 双葉屋旅館(南相馬市小高区)はJR常磐線小高駅のすぐそばにある。小林友子さん(67)は四代目の女将(おかみ)だ。二〇〇五年、母親が風呂に落ちて大やけどを負ったのを機に引き継いだ。
 旅館には、もんぺ姿の子どもたちの集合写真が飾られている。戦時中の学童疎開ではないかという。福島では東京の子どもたちを受け入れていた。豊島区郷土資料館によると、長崎第四国民学校(現在の区立長崎小学校)の二十人が双葉屋旅館に疎開していた記録が残っている。
 「私が小さい時は駅前に旅館が八軒あった」という。昭和二十二~二十三年ごろの商店街中心部の見取り図が小高町史に掲載されている。佐藤忠まゆ仲買商、大原ブリキ屋…。時代を感じさせる店の名がぎっしりと並ぶ。「まゆをゆでていたのを見た記憶がある」
 明治以降、街は絹織物や養蚕で栄えた。戦後、絹織物産業は衰退していったが「機屋さんとかのだんな衆がいた流れで、踊りやお花などのお稽古事が盛んだった」という。歴史の名残を感じさせるような「着物で歩きましょう」と呼び掛ける市民グループも活動していたという。
 震災前には駅前の旅館は四軒になっていたが、大広間を持っていて、地元の忘年会や新年会の会場となっていた。ごちそうの材料は町の鮮魚店などから仕入れた。「ちょっとした仕事に対価が払われ、町の中で経済が回っていた」
 町の暮らしが一変した3・11当日。「日本沈没かと思った」という長く強い揺れに襲われた。高速道路関連の仕事をしていた人が何人か泊まっていたが、急いで帰っていった。津波到達は約四十分後。水の流れる音がして、水が床上まで上がってきた。南相馬市の死者・行方不明者は、六百人以上に上った。

双葉屋旅館に残る古い集合写真。背景は建て替え前の旅館

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