ウクライナ避難民「仕事が見つからない」貯金は限界、言葉の壁も...戦闘長期化で苦悩

2022年4月23日 18時00分
<ウクライナからの声>
 ロシアのウクライナ侵攻で、国内外に避難したウクライナ人たちが、戦闘の長期化によって苦境に立たされている。避難先で仕事を見つけるのは容易ではなく、国外では言葉の壁も立ちはだかる。国外避難民は500万人を超え、多くのウクライナ人たちは漏らす。こんなに長引くとは思わなかった—。(エジプト北東部シャルムエルシェイクで、蜘手美鶴)

◆クリミア併合以来、2度も故郷を追われ…

エジプト北東部シャルムエルシェイクで20日、「仕事が見つからない」と嘆くリーナさん㊧と母スウェトラさん

 「お金が少なくなってきた。仕事を探すけど、言葉も分からないし、うまくいかない」。シャルムエルシェイクで20日、ウクライナ南部オデッサから母スウェトラさん(51)と逃げてきたリーナ・ポリシェクさん(22)が表情を曇らせた。
 リーナさん家族が故郷を追われるのは今回が2回目。1回目は2014年で、ロシアのクリミア半島併合によって、生まれ育った半島南部ヤルタから避難を余儀なくされた。黒海沿岸の美しい観光地で、スウェトラさんは小さな土産物屋を営んでいた。「全ての幸せをロシアに奪われた」と振り返る。
 オデッサでの新たな暮らしも、ロシアの侵攻によって約8年で終わりを迎えた。2月下旬以降、黒海からミサイルが飛んでくる日々が始まった。約400キロ先のザポロジエ原発が攻撃された直後、母子で国外へ逃げることを決めた。リーナさんの祖父母は「この街に残りたい」と留まった。

◆モルドバ→ルーマニア→ブルガリア→トルコ→エジプト

 母子2人きりで、隣国モルドバからルーマニア、ブルガリアからトルコ、エジプトへ…。ルーマニアでは首都ブカレストに6日間滞在し、ボランティアたちが食事や衣服、滞在先を世話してくれた。3月末にエジプトに着いてからは、ギリシャ旅行用にためた貯金を使い、2人で1日20ドル(約2500円)でホテルに暮らしている。
 「ボランティアの助けで暮らせるのは2週間ぐらい。戦闘が終わらない以上、自分で稼がないと暮らせない」とリーナさん。オデッサではIT企業のマネジャーとして働き、エジプトでも当初はIT関係の仕事を探した。言葉の壁もあって思うようにいかないが、「自分のキャリアを無駄にしたくない。どうにか見つけたい」と意気込む。スウェトラさんも「私は英語があまり話せないので、できることは限られている。でも、販売の経験もあるし、子どもが好きだから子守もできる」と前向きだ。

◆国内避難民も居場所なく…

 キーウ(キエフ)近郊の激戦地ブチャから、ルーマニア国境に近い西部ビノフラージに国内避難した歯科医師リボウ・ザバリロさん(40)も、仕事が見つからない。歯科医師の資格を持つため楽観視していたが、避難先の歯科医院からは「人手が足りている」と断られ続けている。
 ブチャは徹底的に破壊され、戻ることができても、生活できる可能性は低い。息子2人を学校に通わせ、自らも仕事を見つけるため、国外避難も考え始めている。「戦闘がこんなに長く続き、ここまで残酷なものになるなんて、全く思っていなかった」

◆早く家族みんなで暮らしたい

 3月初旬にキーウ近郊から脱出し、ドイツを経てスペインに向かった高校教諭オクサナ・ホレイバさん(45)。作家の夫(45)は徴兵の可能性があるため出国できず、子ども4人を連れて、戦闘が終わるのを待っていた。しかし、停戦の兆しは見えず、スペインでの滞在が長期化。オランダで1軒家を借りることができたため、4月中旬に移動した。
 自宅付近がロシア軍に占領され、ウクライナに残っていた義母もついに国外避難を決めた。ポーランド国境まで迎えに行き、オランダの家に連れていく予定だ。「早く家族みんなで暮らしたい。心からそう願っている」と話した。


おすすめ情報

ウクライナ危機の新着

記事一覧