志村けんさん死去 お茶の間を幸せに

2020年3月31日 02時00分

2017年、4人で12年ぶりにコントを披露するザ・ドリフターズの(右から)志村けんさん、加藤茶さん、仲本工事さん、高木ブーさん

 ザ・ドリフターズ時代のコントや「東村山音頭」「カラスの勝手でしょ」、その後の「アイ~ン」「バカ殿様」などを日本中の子どもたちがまねをして、大人もゲラゲラと腹を抱えて笑った。全身を使って舞台を駆け回り、変幻自在の表情で繰り出すギャグは人を傷つけず、見る者を幸せな心持ちにしてきた。
 「自分が楽しく、おもしろい笑いだけ。子どもにこびることもない」。自身の芸について、本紙の取材にこう答えていた志村さん。一九七四年のドリフターズ加入から、一貫した姿勢で笑いに向き合ってきた。TBS系「8時だヨ!全員集合」の毎週土曜夜の生放送では、いかりや長介さんらとの応酬が大受け。背後から迫る危険に気づかない志村さんに、客席の子どもたちが「志村、後ろ後ろ!」と声を張り上げた。体も口も素早い切り返しが持ち味となり、視聴者の心を一気につかんだ。
 コント作家に頼らず、「お客さんの前でやるネタは自分たちでつくる」ことを肝に銘じた。アドリブのように見えるやりとりも実は緻密なネタのうち。大成して笑いの大御所となってからも、目の前の観客にどう笑ってもらえるかを考え続けた。五十代で舞台公演「志村魂(こん)」を立ち上げたのも、笑いの求道者たるゆえんだろう。
 「ふだんは初対面が苦手でシャイ」と自ら語っていた志村さん。事務所関係者は「とにかくまじめ。酒の席でも笑いやコントのことをひたすら考え、熱く話していた」と明かす。そんな志村さんの周りには、芸人やタレントたちがいつも集まった。「恥ずかしがり屋のくせに、みんなに親切にして楽しませていた。そこでも仕事の話を一生懸命していた」。ストイックだったが、頼ってくる人には面倒見が良かったという。
 「人を幸せにすること」。それが志村さんが目指す笑いだった。時間がかかっても決して妥協せず、「休むことを知らない男だった」と周囲は語る。昭和、平成と笑いの第一線で輝きを放ち続けた志村さんのギャグは、令和の世でも色あせることはない。 (藤浪繁雄)

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