志村けんさん死去 悲しみ深く 「苦しい今、笑いが必要なのに」

2020年3月30日 16時00分

中日劇場での舞台「志村魂」をPRする志村けんさん=2017年6月、名古屋市で

 昭和、平成、令和の三時代を、希代のお笑いスターとして活躍してきたタレントの志村けんさん(70)が二十九日夜、新型コロナウイルスによる肺炎のため亡くなった。世代を超え、茶の間に笑顔を届けてきた志村さんの闘病の末の死だけに、「新型コロナ」で沈む街に、驚きと悲しみが広がった。
 「びっくりどころじゃない。寒けがする」。通勤中にJR新橋駅前で会員制交流サイト(SNS)で、志村さんの訃報を知った東京都豊島区のカメラマン西光祐輔さん(43)は声を失った。今も志村さんの出る番組を録画して見ているといい、「昔からずっと好きだった。毎回楽しみにしていたのに」と声を落とした。
 志村さんのニュースを見ようと、スマートフォンを手に棒立ちになっていた横浜市の会社員女性(42)も「まだ七十歳と若く、元気になって戻ってくると思っていたのでショック。若者が街を出歩くニュースを見たが、こうして人が亡くなっている。行動を見直してほしいし、改めて自分も気を付けなければと思った」と気を引き締めた。
 江東区のパート松田和宏さん(75)は、酒店の集配をする仕事帰り。以前は午後四時ごろまで酒を卸す配達をしていたが、感染拡大で卸先が減り、この日は午前十時には仕事を終えた。仕事用車両のラジオでニュースを知り、「まさか」と思ったと言う。「感染拡大で、仕事が苦しいさなか。こんな世の中だからこそ、笑いが必要なのに。もっと元気づけてほしかった」と残念がった。

1974年3月、志村けんさん(後列左から2人目)加入会見後のザ・ドリフターズ

 ツイッターでは、死去の速報が流れた直後から、ゆかりのある人らが相次いで投稿し、死を悼んだ。
 志村さんと長年にわたってコントなどで共演し、親交が深かった歌手の研ナオコさんは「今は何も考えられません けんちゃんと、もう会えなくなっちゃう 悲し過ぎて あり過ぎる想(おも)いが整理できません 一緒に仕事が出来て幸せでした ありがとう」とコメント、深い悲しみを表した。
 東村山市の渡部尚(たかし)市長は「東村山十五万市民の皆さんと共にご回復を祈っていましたが、願いが叶(かな)わず残念でなりません。心より哀悼の誠を捧(ささ)げ、ご冥福をお祈りいたします」「聖火リレーをお願いしていただけに残念でなりません」などとつづった。

◆「東村山のヒーロー」

 志村さんの出身地、東京都東村山市の介護士小林丈雄さん(51)は「遠方に出掛けたときも東村山から来たと言えば、志村けんさんの故郷という話になるほど地元を有名にしてくれた。東村山のヒーローだった。子どもの頃からテレビで楽しませてもらっていた」と惜しんだ。
 同市の飲食店経営萩原繁郎さん(41)は「東京五輪の聖火ランナーとして地元を走るのを楽しみにしていた。自分もお客さんも回復を願っていたのに残念だ」と話した。

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