<民主主義のあした>「表現の不自由展」守った市民と司法

2022年4月25日 06時00分
 東京都国立市の「表現の不自由展東京」は、主催者と、会場を貸した市が半年間話し合い、今月上旬の実現にこぎ着けた。だが表現の不自由展は、企画されるたびに悪質な抗議や脅しを受け、延期や中止を強いられたケースもある。東京展に向けて奔走した主催者や、昨年7月の大阪展の実現を導いた弁護士らの言葉には、表現の自由を守るための苦労がにじむ。

展示作品の「平和の少女像」㊧を撮影する報道陣。延期されていた東京展の初日は国内外の多数のメディアが取材した=東京都国立市で

 2015年の初展示から「不自由展」に携わり、今月の東京展の実行委員会共同代表を務めた岡本有佳さん(59)は、開催への抗議活動も含めた「いま起きていることや、過去に起きたこと」を見えるようにすることが、表現の自由の土台になる、と語る。(聞き手・佐々木香理)

東京展を振り返る岡本有佳さん

 —展示の狙いは。
 「不自由展は、自分たちが暮らす社会で行われているのに気づきにくい自己規制や検閲を、目に見える形にする展覧会。検閲とは一般に公権力が表現を規制するという意味で知られ、日本国憲法で禁止されている。だが、表現する人と、表現を受け取る人の交流を遮る行為ととらえれば、今でも起きている」
 「例えば、12年に元従軍慰安婦の写真展を中止する通告を行ったニコンサロン(新宿区)や、12年に平和の少女像のミニチュアなどを撤去した東京都美術館(台東区)の事例がある。不自由展では、これらを出発点に、各地の展示施設で撤去や規制を受けた作品を集めてきた」
 —展示に対する抗議や、妨害もあるが。
 「こうした『検閲を可視化する試み』が、さらに検閲にさらされる皮肉な事態も続いている。不自由展が中断された『あいちトリエンナーレ2019』(愛知県)以降、不自由展の実行委や会場側への攻撃が悪化してきた」
 「今回の東京展も、当初は昨年6月下旬から7月上旬にかけ、新宿区の民間ギャラリーで予定していたが、攻撃を受け、いったん延期した。開催前、ギャラリー周辺の住宅街に大声を響かせて開催に抗議する街宣活動があったためだ」
 「このような状況で、直後の大阪展を巡る司法判断は、大きな意味を持った。会場となった大阪府立の施設が妨害活動などを理由に利用許可を取り消したのだが、大阪地・高裁が利用を認めて最高裁で確定、無事会期を終えた。これを受け、東京展も公共施設で開く方針に変えた」

東京展の開催反対の演説をする団体関係者ら=東京都国立市で

 —国立市で開催された背景は。
 「規模の合う会場を絞り、国立市が挙がった。都内有数の文化都市で市民活動も盛ん。私たちと連帯できる地元市民もいた。市の『人権を尊重し多様性を認め合う平和なまちづくり基本条例』も展示の趣旨に沿う」
 「そこで開催の半年前から市や会場関係者と協議を続けた。防犯態勢など課題を一つ一つ話し合い、議事録を作り、合意形成した。会期前の妨害を防ぐため、直前まで告知を控えた。一方で一人一人に声をかけてネットワークをつくった。作品の一時保管、会場スタッフ、ごみ処理…。あらゆる点で国立市民の協力なしには成り立たなかった」
 —予定通りに会期を終えた手応えは。
 「結果として、今月2〜5日の4日間で1600人が来場した。約半数が感想を書いてくれた。多くが開催を支持する意見だった。これは市側にも伝えたい」
 「会期中、脅迫文や不審物は一つもなかった。昨夏の東京展の妨害で、容疑者が逮捕されたことが、暴力的な妨害活動の抑止力になったと思う。被害届を出すのは大変だったが、不自由展の開催と同様、起きたことをきちんと可視化する意義を実感している」

◆大阪では利用許可取り消し → 訴訟の末に利用認める

藤木邦顕弁護士(本人提供)

 大阪市で昨年7月に開催された「表現の不自由展かんさい」を巡っては、会場の府立施設が一度は認めた利用許可を取り消したが、開幕1週間前に大阪地裁が取り消しの効力を停止する決定を出し、開会日に最高裁で利用を認める決定が確定した。
 「過去の最高裁判決から取り消し停止は認められると思っていた。だが、混乱が生じる恐れや他の利用者に迷惑がかかることを過大視しないか心配だった。混乱を招くから開催してはいけないという決定が出ていたら、国立市も倣ったと思う。意義は大きかった」
 大阪展実行委員会の代理人を務めた藤木邦顕くにあき弁護士(64)は、こう強調する。
 「過去の最高裁判決」とは1995年の最高裁第3小法廷判決だ。大阪府泉佐野市が、関西空港反対集会に市民会館を利用させなかったことが、表現の自由を保障する憲法21条に反しないか争われた。
 最高裁は「主催者が集会を平穏に行おうとしているのに、他のグループなどが実力で阻止し、妨害しようとして紛争を起こす恐れを理由に公の施設の利用を拒むことは、憲法21条の趣旨に反する」と原則を提示。例外的に利用拒否できるのは「集会で人命、身体、財産が侵害されるなどの明白な危険がある場合に限られる」と述べた。
 この判決では、主催者側の主張は「集会が開かれることで明らかな差し迫った危険が予見される」と認められなかった。だが原則と例外の線引きは、その後の類似訴訟で参照されることになった。このため、主催者が平穏な催し物を計画し、参加者や周辺の安全に配慮しているなら、実力で阻もうとする人がいても、公共施設の利用拒否は「表現の自由」の侵害に当たる—という司法の姿勢は定着しているという。
 藤木弁護士は「ある表現行為に異論を持つことは自由だが、脅迫や妨害でやめさせようとするのは犯罪であり、民主主義社会で許されない。このことがまだ社会に10分に認識されていないように思う」とした上で、「表現の自由擁護の観点に立てば、行政は反対行動で混乱が起きるからという理由で安易に施設利用許可を取り消さないだろう。大阪展での裁判所の決定を、あらためて全国の自治体の会場利用の基本に据えてほしい」と話す。(加藤益丈)

◆名古屋では脅迫や抗議電話 → 長期中断に

 表現の不自由展は2015年、東京都練馬区のギャラリーで開催された「表現の不自由展〜消されたものたち」が始まりだ。市民らでつくる実行委員会が展示先から撤去された芸術作品を集めて開いた。
 この企画展のコンセプトを引き継ぐ形で開催されたのが、19年8月に愛知県で開幕した国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」だ。このとき、慰安婦を象徴する「平和の少女像」などの展示内容が報じられると、脅迫や抗議電話が相次ぎ、長期の中断に追い込まれた。約2カ月半の会期中、展示できたのは10日間ほどに過ぎない。

「表現の不自由展・その後」の再開などに対して座り込んで抗議する名古屋市の河村たかし市長 =名古屋市で

 21年7月に名古屋市の市施設で開かれた「私たちの『表現の不自由展・その後』」は、会場に届いた郵便物から破裂音がしたため、市が会場の臨時休館を決定。会期3日目から最終日までの4日間が中止となった。
 同時期に企画された大阪市での「表現の不自由展かんさい」は、利用を認めていた会場の府立施設側が「利用者らの安全が確保できない」として、利用許可を取り消したが、司法判断で利用が認められ、開催された。
 東京都国立市での東京展は、今年3月25日の開催発表後に市や会場への抗議が相次いだ。これを受けて市はホームページで施設利用にあたって「内容によりその適否を判断したり、不当な差別的取り扱いがあってはなりません」と表明。岩崎貞明・実行委共同代表は「(市に)敬意を表したい」と感謝した。当日、会場前で反対する右派団体が演説し、街宣車が周囲を回ったが、警察が厳重警戒したこともあり、大きな混乱はなく、会期を終えた。(林朋実)

◆表現の不自由展を巡る経緯

2012年5月 新宿ニコンサロンで開催予定だった写真展「慰安婦」でニコンに抗議。ニコンは主催者に中止を通告。東京地裁は会場使用認める決定
8月 東京都美術館で「平和の少女像」のミニチュアなど「慰安婦」関連2作品を美術館側が撤去
15年1〜2月 東京・練馬のギャラリーで「表現の不自由展〜消されたものたち」開催
19年8月1日 国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」始まる
3日 大村秀章愛知県知事が「安全な運営が危ぶまれる」と翌日以降の同展中止を発表
9月26日 文化庁が芸術祭への補助金の全額不交付を発表。後に減額して交付
30日 芸術祭実行委と不自由展実行委が展示再開で合意
10月8日 「不自由展・その後」展示再開。14日に閉幕
21年6月3日 東京・新宿のギャラリーでの「表現の不自由展・その後東京EDITION」開催を実行委が発表
10日 東京展実行委が会場の変更を発表
24日 東京展の開催延期を発表
25日 大阪府立労働センター「エル・おおさか」が抗議を受け「表現の不自由展かんさい」の会場利用許可取り消し
30日 大阪展実行委が取り消し処分の効力停止を求め大阪地裁に申し立て
7月6日 名古屋市の市施設「市民ギャラリー栄」で「私たちの『表現の不自由展・その後』」開幕
8日 名古屋展会場への郵便物から破裂音。市が会期終了までの会場の臨時休館を発表し、事実上展示中止に
9日 大阪地裁が大阪展実行委による会場利用を認める決定
16日〜18日 「表現の不自由展かんさい」開催
22年4月2日〜5日 「表現の不自由展東京」開催

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