ウクライナ侵攻2カ月 国際秩序の脆弱性露呈 中島岳志

2022年5月1日 07時00分
 ロシアによるウクライナ侵攻から、約二カ月が経過した。当初はロシアを非難し、プーチンの暴走を糾弾する論調一色だったが、ゼレンスキー政権がネオナチの極右民兵と連携してきたことや親ロシア的な野党の活動を停止したことなどが伝わると、ウクライナ側の問題が批判され、「どっちもどっち論」が目立つようになってきた。
 このような論調に対して、国際政治学者が批判を強めている。細谷雄一は自らのツイッター(3月26日)で「ロシアもウクライナも両方悪い」は不適切だとし、「どっちもどっち論」の危険性を指摘した。あらゆる戦争が悪であり、どちらが正しいというわけではないという言説は、一見正しいように見えるが、「二十世紀の国際法と国際的規範の歩みを全否定する」ことにつながる。侵略したのはあくまでもロシアであり、ウクライナ政府は国民の生命を守るための自衛的措置をとっている。この構図を無視して「どちらも悪い」と言ってしまうと、「国際的には全く共感されず、単なる国際法の無知とされてしまう」。
 ロシアの「悪」とウクライナの「悪」の次元の違いを指摘し、二十世紀以降の平和構築の努力と積み重ねを再確認する姿勢は重要である。しかし、今回のウクライナ侵攻によって、欧米を中心に築かれてきた国際秩序の脆弱(ぜいじゃく)性が露呈されたことも事実である。戦争の出口は見えず、解決策は見いだせていない。その間も戦闘は続き、多くの命が失われる。
 問題は、いかにしてロシアの暴走を正しながら、国際社会にソフトランディング(軟着陸)させるかである。そのための知恵を絞らなければならない。
 冷戦終了後、アメリカ一強の時代が続いた。その間、アメリカはイラク戦争などで国際法や国際的規範を踏みにじる行為を繰り返してきた。アメリカの高圧的な態度は、反米意識の増長につながり、アメリカ・NATO(北大西洋条約機構)を中心とした秩序のあり方への不信感を増幅させた。
 二十一世紀に入り、アメリカの弱体化とともに中国・ロシアの台頭が顕著になると、一強の時代から多極化の時代へと突入し、アメリカの論理が相対化されていった。国連も常任理事国がルールに従わなければ機能しないことが、今回のウクライナ侵攻で明白になった。現在の国際秩序では、核保有大国の暴走を誰も止めることができない。
 世界は、アメリカ・NATOを支持する国々と、そのヘゲモニーに反発する国々の間に分断が生じつつあるように見える。佐藤優は『文藝春秋』5月号(「ベストセラーで読む日本の近現代史 104回−ヘーゲルを通してプーチンの思考を読み解く」)で、プーチンの構想を「21世紀型の帝国」への「再編」という視点で読み解いている。プーチンはロシア単独の世界支配を構想しているのではなく、「米国、欧州、日本などとは別の価値観を持つ、中国、インド、ブラジル、トルコ、イラン、サウジアラビアなどとのネットワークのハブ(結節点)」となることを目指しているという。
 世界の新たな二極化は、進行していくのだろうか。
 三月十五日付で、和田春樹をはじめとした歴史学者が「ウクライナ戦争を1日でも早く止めるために日本政府は何をなすべきか−憂慮する日本の歴史家の訴え」という声明を出した。ここで彼らは、ロシア・ウクライナの停戦交渉の仲介をするのは「ロシアのアジア側の隣国、日本、中国、インドがのぞましい」と述べ、日本政府の果たすべき役割を強調している。だが、なぜ日本がここに加わるべきなのか、その理由や論理は明確ではない。
 プーチンがユーラシア主義を説き、「東方的」なロシア正教との強い関係を結んでいることは周知の事実である。習近平も「一帯一路」というヴィジョンを説き、アメリカ・NATO中心の秩序とは異なる構想を示している。これは、戦前期の日本のアジア主義とも通底する思想を含んでいる。
 ロシアのユーラシア主義、中国の一帯一路、日本のアジア主義――。この三者は、いずれも「近代の超克」という思想課題を提起しながら、周辺国に対する覇権主義を発露してきた。かつて中国文学者の竹内好は、「方法としてのアジア」という論考で、「西洋をもう一度東洋によって包み直す」ことで西洋を変革し、「価値の上の巻返しによって普遍性をつくり出す」という構想を説いたが、その前提には覇権主義の解体と克服があった。
 第二次世界大戦後に積み重ねられた国際秩序形成の努力を継承しつつ、ロシアや中国を包み込む方法はないのだろうか。日本のアジア主義とその役割について、真剣に考えたい。(なかじま・たけし=東京工業大教授)

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