高島平新聞 創刊50年 団地とともに 編集長、親子2代で取材に奮闘

2022年4月27日 07時07分

完成から50年を迎えた高島平団地=板橋区で、本社ヘリ「おおづる」から

 全国有数のマンモス団地・高島平団地(板橋区)は1972年1月に入居が始まり、今年で50年を迎えた。街の成長を見守ってきた地域新聞「高島平新聞」(毎月15日発行)も5月で創刊50年。「街を元気に」をモットーに、親子2代にわたる編集長が取材に奮闘してきた。

団地とともに50年を迎えた高島平新聞社の村奈嘉義雄会長(左)と息子の高英編集長=板橋区で

 「あっという間でした」。高島平新聞を立ち上げた会長の村奈嘉(むらなか)義雄さん(80)は創刊号を眺めながらしみじみと語った。
 専門紙記者だった村奈嘉さんは七二年四月、千葉から団地に引っ越してきたが、できたばかりの街にはどこに何があるか分からない。

1972年5月に発行された団地新聞・高島平(現・高島平新聞)の創刊号

 「新住民ばかりで、心の触れ合いがない」。考えた末「身近な情報を伝えよう」と、「団地新聞・高島平」を創刊した。
 事務所は村奈嘉さんの自宅。村奈嘉さんと主婦四人の記者が団地の話題を取材し、約二十人のスタッフが全戸に無料で配達していた。
 創刊時は約八千部で、配達にかかる時間は一時間半だったが、現在は二万二千五百部に増え、一〜二日かけて配達している。
 地域の話題を積極的に取材。保育所不足を取り上げて子育て環境の充実を訴えたり、「飛び降り自殺の名所」として有名になったころには、紙上で防止策を募集したこともあった。
 二代目編集長は次男の高英さん(49)。団地で生まれ育ち、子どものころは新聞の配達も手伝っていた。商社マンから転身し、地域密着の取材をする中で、子どもが減り、高齢者の姿が目立つことに気付いた。
 高齢化の実態をつかもうと、住民基本台帳を基に調査。二〇一五年十一月号の紙面で、住民約一万五千人のうち六十五歳以上が半数を超えたことを報じると、大きな反響を呼んだ。
 学校行事や商店街のイベントはもちろん、選挙取材もこなす。インターネットでの発信も考えたが、ネットに不慣れな高齢読者のために紙の発行にこだわる。

高齢者が半数を超えたことを伝え、反響を呼んだ2015年11月号

 入居開始から半世紀。老朽化に伴い、建て替え・再整備も検討されており、団地は変化の時を迎えようとしている。
 「団地に愛情を持っている」と語る高英さん。「住民が誇りを持てるように、みんなが必要としている情報を届けていきたい」

◆進む高齢化、老朽化… 魅力発信の活動も

 高島平団地には六十以上の棟があり、賃貸は計八千二百八十七戸、分譲は計千八百八十三戸。高度経済成長期の住宅不足を補うため、日本住宅公団(現・都市再生機構)が整備した。
 高島平という地名は、江戸末期の砲術家・高島秋帆(しゅうはん)が、このあたりで日本初の西洋式砲術訓練を披露したことに由来する。
 若い世代が入居し、ベビーブームで小学校や保育所が整備されたが、今は高齢化の波が押し寄せている。二〇一八年の高齢化率は、板橋区の約23%に対し、団地が集積する高島平二、三丁目は40%以上。ひとり暮らし世帯も増えている。
 一方、団地生まれ、現在も団地で暮らすライターの塚原智美さん(50)は、団地の良さを伝えるために活動する。
 団地四十周年の一二年、同世代の女性とボランティア団体「高島平観光協会(仮)」を設立、団地見学ツアーや手持ち花火大会などを企画してきた。コロナ禍で思うように活動はできていないが、SNSで団地の魅力を発信する準備を進めている。
 「暮らしている人にしか分からない面白さがある。団地の変化を記録して、伝えていきたい」
 文・砂上麻子 写真・由木直子
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