<社説>講和条約発効から70年 あの原点に時を戻そう

2022年4月29日 07時47分
 日本が敗戦後の占領から独立を回復したサンフランシスコ講和条約の発効から、きのうで七十年。私たちは今、歴史の逆流を見ているのでしょうか。
 「核使用」まで振りかざすロシアの蛮行に表出したのは、いつになっても戦争のくびきから抜け出せぬ、人間の宿業です。
 そう思うのは、例えばこの夏やはり創設七十年の防衛大学校(神奈川県横須賀市)で、先月あった卒業式です。幹部自衛官となる卒業生を前に、岸田文雄首相の訓示には一段と熱がこもりました。
 ロシアのウクライナ侵攻で、日本にも迫る「戦後最大の危機」を踏まえ、卒業生は「一人一人が国民の命と暮らしを担う砦(とりで)となる自覚を忘れるな」。政府は「あらゆる選択肢を排除せず、防衛力を抜本的に強化していく」−。
 その熱気も追い風に、自民党の防衛費倍増や敵基地攻撃能力保有の検討が勢いづいています。平和憲法や専守防衛の矩(のり)を超え、歯止めなき軍拡路線への加速です。

◆不戦の民意が信頼され

 しかしながら、私たちが今ウクライナに見る惨劇の教訓が、新たな惨劇の誘因ともなる「軍拡」でいいはずがない。むしろ今こそ立ち返るべきは七十年前、世界に不戦を誓った独立の原点でしょう。
 条約発効の前年、一九五一年の秋に時を戻します。九月上旬、サンフランシスコ講和会議で日本全権を務め、この条約に署名した当時の吉田茂首相は十月十二日、国会での講和報告演説で二つの事を強調します。
 一つは、戦争の苛酷さを体感した日本国民が戦争を放棄し、国際連合憲章を尊重して世界の平和と繁栄に貢献したいと願う。条約の基点に、この自発的な「民意」の表明があったということです。
 もう一つは、その民意を連合国側が「信頼」し、日本に懲罰的、報復的な条項は課さない。当時の平和条約では例がないほど、敗戦国に「寛大」な措置でした。
 戦争の敗者が復讐(ふくしゅう)に燃え、次の「戦争の種」を生むような悪循環を断とう。この国連設立の精神こそが、寛大な条約の底流をなし、日本が世界の信頼を背に歩み出した平和主義の原点でした。
 無論この講和には裏もありました。朝鮮戦争さなか。米国は日本に「再軍備」への圧力を強めていました。平和憲法の制約にも挟まれた吉田は結局、日本の防衛を米軍に頼ります。講和と同時に沖縄などを本土独立から切り離し、米軍に基地を残して日米安全保障(旧)条約を締結。後の自衛隊創設にもつながる重い決断でした。
 ただ半面、独立、復興の表舞台で吉田は、軍事費をかけず経済活動に専念する「軽武装・経済重視」政策を推進します。再軍備などはさておき、国民が望む平和国家としての復興、繁栄をともかく優先する姿勢でした。

◆政治に民主主義を再び

 それはまた、昔のような権力による民意の抑圧でなく、主権者の民意で政治が動く。あの軍国主義から生まれ変わった、政治の民主主義を印象づけることで、国際社会に「信頼される民主国家」として復帰したい。吉田の自伝にはそんな思惑ものぞきます。
 けれど七十年後の今、気が付けば、政治に民主主義の影が随分薄くなりました。思い当たる転機は九年前の四月二十八日。「主権回復の日」として政府が主催した記念式典でした。時の首相が式辞で述べたのは「日本を強くし世界の人々に頼ってもらえる国に」と。「信頼される国」から「頼られる国」へ。場内に響く「天皇陛下万歳」の連呼。何やら戦前への回帰も想起させる時代倒錯でした。
 式典は、この日を「屈辱の日」とする沖縄の人々から猛反発を受けて一年限りで中止。ところが自民党政権はその後、政権支持層以外の不都合な民意を遠ざけるようになり、権力の独断で軍事力強化へひた走ります。集団的自衛権、安全保障関連法、そして今に続く歯止めなき軍拡への流れです。
 次代に「戦争の種」を残し、その財源もまた次代に付け回す。まして他国の惨劇にも便乗しての軍拡路線に、私たちは与(くみ)することはできません。大方の民意は、先人から受け継ぐ平和主義を次へつなぐこと。国際社会の信頼に応え平和外交を尽くす道でしょう。
 だけど、そこに政治の後押しがなければ、民意の継承も、世界の信頼も途切れます。
 この世代で途切れぬよう、民意の束を太くし、政治に真の民主主義を「回復」せねばなりません。独立七十年にして問われる、私たちの世代の責任です。

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