千葉県の成田、匝瑳、八街を結んだ「軽便鉄道」とは 600ミリ線路を小型機関車が走る 8日まで成田市で展示

2022年5月2日 06時00分

小型蒸気機関車(手前)とガソリンカーの模型に挟んだジオラマ前で、企画展の説明をする岡野肇さん=いずれも千葉県成田市で

 現在の千葉県成田と匝瑳そうさ八街やちまたの3市を結ぶ鉄道が、明治末期から昭和初期にかけて存在した―。知られざる交通インフラに光を当てた「三里塚を全国区にした『幻の軽便鉄道』展」が成田市の三里塚コミュニティセンターで、8日まで開かれている。企画したのは、同市周辺の有志でつくる「軽便鉄道を考える会」。代表の岡野肇さん(69)は「現在、鉄道駅がない富里市や多古町にも鉄路が敷設されていた」と話す。(堀場達)

成田近郊を走行する小型蒸気機関車の古写真パネルなどを展示した会場

 鉄道は軍用から県営に引き継がれ、1911(明治44)年に成田―三里塚駅、三里塚―多古駅が開業した。14(大正3)年には富里駅を経由する三里塚―八街駅、26(同15)年に多古―八日市場駅(匝瑳市)がつながり、成田―八日市場駅が約30キロ、成田―八街駅が約20キロの路線になった。
 当初は多古―八日市場駅を除く全路線が標準ゲージ(線路幅)の1067ミリを大きく下回る600ミリで、小型の蒸気機関車が客車をけん引した。民営移行後の27(昭和2)年に成田―三里塚駅で標準ゲージが採用され、桜の名所だった三里塚と東京間に臨時の直通列車が走るほどのにぎわいを見せたが、日中・太平洋戦争の激化に伴い、鉄を供出するため、全路線が44年までに姿を消した。

鉄道連隊の演習など、銚子をはじめとする県内各地の関連写真も展示

 企画展では、沿線風景や列車の古写真、時刻表などを紹介。地元にとって、この鉄道がいかに大切で繁栄をもたらしていたかをよみがえらせる。会員が手作りした機関車や、高速化を図って八街線を走行したガソリンカーの模型は、段ボールが材料とは思えない硬質感を持ち、富里付近のジオラマとともに飾られている。
 実物の枕木も興味深い。素材は鉄。岡野さんは「路線は戦地で鉄道を敷設する陸軍の『鉄道連隊』の演習線を元に巡らされた。線路との組み立てと、輸送を容易にするため、枕木を鉄製にしている」と指摘する。

600ミリのゲージ用の鉄製枕木。右側の枕木上に置かれているのはレールの複製品

 企画展の副題は「三里塚の春は大きいよ」。高村光太郎(1883~1956年)の詩「春駒」の一節から借りた。小説家平林たい子(1905~72年)が自叙伝的作品「砂漠の砂」で、小型機関車がこの路線を走った様子を描写している場面もあり、三里塚は文学上の舞台として、しばしば扱われたという。
 午前9時~午後5時。無料。

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