本土メディアの温度差にがく然 「沖縄の問題で片付けられてしまう」<沖縄は復帰したのか~50年の現在地>

2022年5月5日 06時00分

ヘリが墜落直後、沖縄国際大に黒煙が立ち上った=宜野湾市提供

<連載⑦2004年8月13日 沖縄国際大ヘリ墜落事故>
 「基地が近いので日常的にヘリのローター音は聞いていたが、その時は聞いたことがないような大きな音が近づいてきた」。直後に「ガシーン」という衝撃音がとどろく。

◆市街地の真ん中で燃えた機体

 2004年8月13日午後2時過ぎ、当時、沖縄国際大2年の自営業新膳しんぜん裕治(38)は夏休み中だったが、ゼミの事前学習で学内にいた。見上げるように黒煙が上がっていた光景をよく覚えている。
 沖縄国際大キャンパス(宜野湾ぎのわん市)に、米海兵隊普天間ふてんま飛行場所属の大型輸送ヘリCH53Dが落下した事故だった。ブレード(翼)などの部品が周囲に吹き飛び、機体は燃え上がり、噴煙が周囲を覆った。
 キャンパスは普天間飛行場の南東側に隣接し、周囲には民家やマンションが立ち並ぶ。事故は市街地の真ん中にある同飛行場の異常性をあらためて示した。ヘリの乗員3人が負傷しただけで、学生や住民が1人もけがをしなかったのは「奇跡」といえる。

◆ナベツネ辞任より下、という本土の扱い

2004年8月14日 本紙朝刊1面

 ただ、翌14日の在京の新聞各紙の記事の扱いは決して大きくはなかった。本紙は事故を1面で報じたが、3番手の扱い。トップはアテネ五輪開幕で、2番手はプロ野球巨人がドラフト注目選手に金銭を提供していた責任を取ってオーナーの渡辺恒雄が辞任した問題だった。
 「このくらいにしか取り上げられないのだな」
 新膳は事故当日の夕方、テレビの全国ニュースも番組開始から3番目だったと記憶している。その後、9月12日に大学で開かれた抗議の市民大会で、新膳は市民代表の1人として登壇し訴えた。「地元と本土のメディアの温度差にがくぜんとし、問題が沖縄のものとして片付けられてしまう危険性を感じた」

◆治外法権が浮き彫りに

 事故が浮き彫りにしたのは、事故の怖さだけではない。沖縄県警は現場検証をしようにも、米軍に阻まれて機体に全く近づけなかった。米軍の優越的権利を定める日米地位協定があるからだ。「県警は米軍が設けた規制線の外で、遠巻きに見ているだけだった。本当に治外法権なのだと怒り、屈辱を感じた」
 同飛行場所属の米軍機の事故はその後も繰り返されている。16年12月には垂直離着陸輸送機オスプレイが名護市沖浅瀬に着水して大破。17年には10月に大型輸送ヘリが東村高江に不時着して炎上、12月に同系統ヘリの窓が宜野湾市立小学校の校庭に落下した。(敬称略)
   ◇            ◇
 サンフランシスコ講和条約が1952年4月28日に発効し、日本が独立を果たした一方で、切り離された沖縄にとっての「屈辱の日」から70年。本土復帰まで米軍施政下に置かれ、今も過重な米軍基地負担などに苦悩する沖縄は、本当の意味で「祖国」に戻ったと言えるのか。主な出来事を当時の記事でたどりながら10回の連載で考えます。(この連載は山口哲人、原昌志、村上一樹、小松田健一、後藤孝好が担当します)

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