<のぼりくだりの街>紀尾井坂(千代田区) 江戸時代から一等地

2022年5月6日 06時31分

交差点から外堀方向へ急勾配で上る紀尾井坂

 千代田区紀尾井町。一帯は江戸時代初期から現在まで、ほとんど地形が変わっていないという。庶民には「高級ホテルの街」という印象だが、その歴史は江戸幕府を支えた主要三藩の屋敷の歴史でもある。さて、どのような街なのか。街区の北西に位置する紀尾井坂を訪ねた。
 坂の名の由来は、江戸幕府を支えた三つの藩の江戸屋敷があったことから、その藩の名の一文字をとったことによる。つまり、紀州藩徳川家の「紀」、尾張藩徳川家の「尾」、彦根藩井伊家の「井」だ。坂の名前は江戸時代からあったが、町名になったのは明治になってからだ。

紀尾井坂の途中にある「ホテルニューオータニ」のショッピングアーケードに通じる出入り口=いずれも千代田区で

 かつて赤坂プリンスホテル新館が立地し、現在デジタル庁などが入る「東京ガーデンテラス紀尾井町」の「紀尾井タワー」や文芸春秋ビルなどが立つ街区が紀州藩。上智大学の建物群があるエリアが尾張藩。「ホテルニューオータニ」のビルなどが立つ場所が彦根藩の屋敷跡だ。
 東京メトロ赤坂見附駅近くの「弁慶堀」に向かう。この堀は江戸城の外堀の一部だ。ここにかかる「弁慶橋」から紀尾井町通りを北に約四百メートル直進すると交差点がある。紀尾井坂のふもとだ。坂のプロフィルを見てみよう。

喰違見附跡付近から望む弁慶堀

 国土地理院のデータによると、交差点付近の標高は一五・五メートル。坂の頂上部分にあたるホテルニューオータニの駐車場入り口付近は同三一・四メートル。坂の長さは約二百十メートル。平均勾配約8%の坂だ。自転車で上るのはちょっとつらい。
 近くには参議院議員宿舎や高級外車のショールームもあり、黒塗りの大型セダンが頻繁に坂を上り下りしている。
 この坂のふもとの東寄りの場所は幕末・明治初期の政治家・大久保利通が一八七八(明治十一)年に暗殺された場所だ。近くの区立清水谷公園内に立派な哀悼碑が設置されている。千代田区教育委員会などがまとめた資料によると、同公園は紀州藩の庭園、そしてホテルニューオータニの日本庭園部分には彦根藩の庭園があったと考えられるという。
 千代田区文化振興課文化財係で日比谷図書文化館学芸員の篠原杏奈(あんな)さん(28)は「紀尾井町一帯は、江戸時代初期から三つの藩の屋敷が同じ場所にありました。坂の上から外堀通りに抜ける『喰違(くいちがい)』という門の形状や、街の区画が江戸時代から変わっていません。歩いて江戸の歴史を感じてみてください」と話している。=おわり

◆外堀散策へ出かけよう

 千代田、港、新宿の3区は2008年、「史跡 江戸城外堀跡 保存管理計画書」をまとめた。外堀完成400年を迎える2036年に向け、堀の地形と規模が体感できるよう保全、整備したり、緑地や水辺の空間を散策できるよう整備する方針だ。
 外堀は1636(寛永13)年に完成した。江戸城東方の雉子(きじ)橋(日本橋川)から、時計回りに常盤橋、数寄屋橋、虎ノ門に至り、赤坂、牛込橋、さらに神田川の浅草橋付近まで延長約14キロメートルにおよび築かれた。千代田区立日比谷図書文化館などで、外堀跡周辺の街歩きに便利なガイドマップを無料で配布している。
文・長久保宏美/写真・田中健
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