<新かぶき彩時記>團十郎と菊五郎 江戸歌舞伎の二大名跡

2022年5月6日 06時55分
 「團菊」は、幕末〜明治期の二大名優、九代目市川團十郎と五代目尾上菊五郎の頭文字から一字ずつとった呼び名です。
 「勧進帳(かんじんちょう)」「助六(すけろく)」など、お家芸の荒事に加え、近代的な「肚芸(はらげい)」という心理描写も開拓した團十郎。十八歳で「弁天小僧」を初演し、江戸前の粋な世話物や様式的な表現を得意とした菊五郎。剛と柔、対照的な個性で歌舞伎界を盛り上げました。何かといえば二人の功績を持ち出す古老を揶揄(やゆ)した「團菊爺(だんぎくじじい)」という言葉もあったほどです。
 両者の縁は江戸中期まで遡(さかのぼ)ることができます。京都出身の初代菊五郎は、若女形(おやま)から立役(たちやく)に転じた経歴の持ち主で、その芸脈は女形も輩出する現在の菊五郎家と通じます。寛保二(一七四二)年、江戸から大坂にやって来た二代目市川海老蔵(二代目團十郎)の「鳴神(なるかみ)」で相手役の雲絶間姫(くものたえまひめ)をつとめ、大評判に。その後、海老蔵とともに江戸へ下り、人気者になりました。三代目の菊五郎は早替(がわ)りや幽霊ものも得意とし、粋な江戸前のイメージを定着させました。
 一方、團十郎家は、歌舞伎十八番を制定した豪快な七代目、美男で大人気だった八代目を輩出し、両家は江戸歌舞伎を代表する存在に。七代目團十郎と三代目菊五郎の芸を記憶している「天保老人」と呼ばれた古老も明治中期までは健在だったそうで、「團菊爺」の先駆けともいえるでしょう。(イラストレーター・辻和子)

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