「最低でも県外」撤回、「鳩山さん責める話ではない」元名護市長が嘆く構図<沖縄は復帰したのか~50年の現在地>

2022年5月7日 06時00分
<連載⑨2010年5月5日 普天間の県外移設撤回>
 「沖縄に負担をお願いしなければならない。県民におわび申し上げなければならない」。2010年5月4日、民主党政権の首相の鳩山由紀夫は就任後初めて沖縄入りし、知事の仲井真弘多なかいまひろかずとの会談で、米軍普天間ふてんま飛行場(沖縄県宜野湾ぎのわん市)の県外移設方針の撤回を表明した。翌日の本紙朝刊は1面で鳩山が陳謝したことを大きく伝えた。

2010年5月5日本紙朝刊1面


 本土と比べて重い米軍基地負担に苦しむ沖縄県民の期待を高め、後に失望させた「最低でも県外」を約束したのは09年7月19日。首相就任前の鳩山は民主党代表として同県沖縄市を訪れ、党公認候補の玉城たまきデニーの応援演説で「最低でも県外の移設に皆さん方がお気持ちを一つにされておられるならば、その方向に向けて積極的に行動を起こさなければならない」と訴えた。

◆「公約外すのは、あまりにもひきょうだし」

 日米両政府は06年に普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古へのこへの新基地建設に関し、沿岸部を埋め立ててV字形の滑走路を建設する現行案で合意済み。その日米合意に真っ向から異を唱えた自らの発言について「私としてはあえて踏み込んだ」と思い返す。
 民主党は08年に作成した「沖縄ビジョン」では「県外への機能分散をまず模索し、国外への移転を目指す」と明記していた。鳩山は「以前から県民に約束していたものを政権が取れそうになったので公約から外すというのは、あまりにもひきょうだし、失礼との気持ちがあった」と語る。
 09年8月の衆院選で政権交代を果たして首相に就任後、鹿児島県の徳之島など複数の移設先を模索したが、地元の反対で難航。再検討を指示された外務省や防衛省は「辺野古移設は日米の合意事項」と取り合わず、官僚の壁にも阻まれた。米国からも「日本の国内問題」と突き放された。

◆世論盛り上がらず、工事強行

 当時、名護市長だった稲嶺進(76)は「世の中が変わるかもしれないなと思ったが、淡い期待に終わってしまった」と振り返る。
 新基地建設反対の訴えは日米両政府に受け入れられず、本土の人たちが自分事として受け止めなかったため、世論も盛り上がらなかった。一方、本土で移設先に浮上した地域から反対論が相次いだ結果、辺野古の工事は強行されている。
 稲嶺は沖縄が置かれた状況をこう嘆く。「鳩山さんを責めるという話ではない。政府が戦後ずっと沖縄に基地を押し付け、国民全体がそれを黙認している」(敬称略)

辺野古の新基地建設 国は2018年12月に沿岸部への土砂投入を開始。埋め立て予定海域では軟弱地盤が見つかって工事の難航が見込まれ、国は19年12月、事業完了の時期について、今後、設計変更の工事を開始してから約12年に延ばした。総工費は当初の約2.7倍の約9300億円で、さらに膨らむ恐れもある。22年度以降としていた普天間返還は30年代以降にずれ込み、めどは立っていない。

   ◇            ◇
 サンフランシスコ講和条約が1952年4月28日に発効し、日本が独立を果たした一方で、切り離された沖縄にとっての「屈辱の日」から70年。本土復帰まで米軍施政下に置かれ、今も過重な米軍基地負担などに苦悩する沖縄は、本当の意味で「祖国」に戻ったと言えるのか。主な出来事を当時の記事でたどりながら10回の連載で考えます。(この連載は山口哲人、原昌志、村上一樹、小松田健一、後藤孝好が担当します)

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