言葉知らぬエジプト、生きるため仕事見つけ…避難民オリーナさんは諦めない「必ずハリコフに帰る」

2022年5月11日 12時00分
<ウクライナからの声>
 ウクライナ人やロシア人に人気の観光地、エジプト北東部シャルムエルシェイク。ロシアのウクライナ侵攻後は、戦火を逃れてきた母子や帰れなくなった旅行者など、多くのウクライナ人が滞在している。東部ハリコフから避難してきたオリーナ・ジュラベルさん(44)もその一人。すでにシャルムエルシェイクで仕事を見つけ、娘エバギリーナさん(13)と戦闘の終わりを待ち望んでいる。7日、オリーナさんが近況を報告してくれた。(聞き手・蜘手美鶴)

 オリーナさんに初めて取材したのは4月21日。話を聞いてる最中も、オリーナさんの携帯にはひっきりなしに面接の日程連絡が届いていた。「ちょっと待って」と言ってはメールに返信していたオリーナさん。その後仕事が見つかり、同25日から働き始めたという。

4月下旬、エジプト北東部シャルムエルシェイク「夏までには帰りたい」と話すオリーナ・ジュラベルさん=オリーナさん提供

 「やっとで仕事が見つかった。ダイビングセンターの中にあるお店で販売の仕事をしている。賃金は1日150エジプトポンド(約1100円)。すごく安いけど、何もしていないよりははるかにいい」
「パソコンに入力する作業があって、それに慣れるまでが大変だった。私は販売の経験もあるし、言葉は覚えればどうにかなる。仕事が見つかっただけでも本当によかった」

 オリーナさんが友人を頼ってシャルムエルシェイクに到着したのは3月末。故郷ハリコフはロシア軍の激しい攻撃に遭い、オリーナさんの住む団地にも何発も爆弾が降り注いだ。9階建ての最上階に住んでいるため、爆撃があっても地下まで降りることもままならない。娘と2人、風呂場に身を潜め、建物に着弾しないように祈り続けたという。

 「ハリコフではずっとミンクの毛皮を売る仕事をしていた。ベトナム人オーナーの下で働き、販売一筋でやってきた。でも、ロシア軍の攻撃で大切な店も焼けてしまった。よく通っていた近所のピザ屋も破壊されてしまった。私の住んでいる建物のすぐ隣の棟も、壁の一部が吹き飛んだ」

シャルムエルシェイクのオリーナさんの新しい職場=オリーナさん提供

 「すぐに逃げようとしたけど、こんな時に限って車のガソリンは空っぽ。友人が何とか10リットル買ってきてくれて、かばん1つだけ持って約40キロ離れた母(67)の住む街に向かった。途中、ロシア軍の戦車が道をふさいでいたから迂回うかいした。私たちが到着したとき、母はすでにポーランドに向かって避難した後だった」
 「その後、私たちは電車で24 時間かけてルーマニア国境近くの街まで逃げた。バスに乗り換えてルーマニア、ブルガリア、トルコのイスタンブールまでたどり着いた。そこからは飛行機でシャルムエルシェイクに向かった。私たちはエジプト、母はポーランド、兄はデンマークに避難している。家族もばらばらになり、まるで放浪者のようだ。ロシアは私の人生を破壊した」

 しかし、オリーナさんは「ウクライナ人は決して諦めない」という。ハリコフ市内でも、空爆で散らばったがれきはすぐに片付けられ、水道やガスなどライフラインが壊されても素早く修理されるという。自身もエジプトで生活していくために、慣れない土地でも仕事を見つけた。

 「私は必ずハリコフに帰る。だから難民申請だってしない。アラビア語は分からないけど、生きていくために覚えればいい。そんなに難しいことじゃない。マーシ?(でしょ?)」

 覚えたてのアラビア語を使い、力強く話してくれた。ウクライナに残っている団地の仲間たちが、定期的に建物の写真や動画を送ってくれるという。それを見ながら、ハリコフを思い出している。


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