太平洋戦争レイテ生還 101歳松本さん 住民虐殺 許されない ウクライナ侵攻「一刻も早く停戦を」

2022年5月12日 07時33分

フィリピン・レイテ島の戦いに従軍した当時を振り返る松本實さん=東京都新宿区で

 ロシア軍によるウクライナ侵攻で、住民の大量虐殺が明らかになり、世界に大きな衝撃を与えている。太平洋戦争で有数の激戦地となったフィリピン・レイテ島から生還した松本實(みのる)さん(百一歳)=東京都新宿区=は自らの経験を振り返りながら「虐殺はロシア軍が組織的に実行しているとしか思えない。一刻も早く停戦してほしい」と語った。 (小松田健一)

出征時、家族や近所の人らに見送られる松本實さん(前列左から2人目、松本さん提供)

 −松本さんが参加したレイテ島での戦いで、旧日本軍は全滅に近い状態でした。
 私は陸軍第一師団の片岡董(ただす)師団長に付き従う副官として従軍しました。師団所在地の満州(現・中国東北部)から昭和十九(一九四四)年十一月にレイテ島へ上陸しますが、間もなく米軍の猛攻撃を受けた。私は砲弾の破片を右足に受けて負傷した。一万三千人いた将兵のうち、最後まで生き残ったのは五百人ほどしかいません。野砲兵連隊は全員が戦死した。私もそちらに配属されたら生きて帰れなかったと思います。
 −ウクライナ軍が侵略に激しく抵抗し、ロシア軍の被害が大きいことも伝えられています。
 敗れれば自分の国がなくなるかもしれないのですから、私も同じ立場ならばそうしたかもしれません。
 −松本さんは従軍中、何のために戦うと考えていたのですか。
 「日本のために死ぬのは当然」という教育を受けていたので、生きるか死ぬかを考えたことがありません。命令を受けたことをやる、それだけでした。
 −ロシア軍によるウクライナ住民の殺害を、国際社会が強く非難しています。
 一般的な兵士の心理として、極限状態に追い込まれた時には住民と敵軍兵士との区別がつかず、やみくもに撃ってしまうことはあり得るだろうと思います。しかし、多数の女性や子どもが犠牲になっていることを考えると、兵士の暴走ではなく、ロシア軍が組織的に実行しているとしか思えません。無関係な住民に手を出すことは絶対に許されないことです。
 −フィリピン戦でも、旧日本軍が現地の住民を殺害しています。
 各地でそういった事例があったことは聞いています。しかし、片岡師団長の場合、「私たちが戦う相手は米軍であって、フィリピンではない」と住民には絶対に危害を加えないよう、一線の兵士に至るまで厳命していました。実際、フィリピン人ゲリラが住民を連れ去っていたので、住民と接触する機会もなかった。
 一回だけ、司令部に農民が迷い込んだ。すぐに解放して私たちの居場所を米軍に通報されては困るので、ほどける程度の強さで体を縛り、食料を与えてから先に司令部が移動した。住民に手をかけることがなくて良かったと思います。
 −終戦で米軍に投降してレイテ島の捕虜収容所に入り、戦犯の容疑をかけられたそうですね。
 師団副官の任務に捕虜の監視があったので、捕虜虐待を疑われました。米軍から一方的に攻撃される戦いで、一人の捕虜も取っていないのだから、虐待できるはずがない。疑いはすぐに晴れました。
 −戦後は、現地での慰霊に力を入れました。
 私はこれまで二十九回レイテに行きました。コロナ禍で三十回目はできていないが、今でも行きたい。片岡師団長は昭和三十八(一九六三)年に亡くなったが、現地に慰霊碑を建ててはならないと遺言された。「宗教や民族が異なるフィリピンで、自分たちの満足のためにそのようなものを建てるべきではない」とのお考えでした。ですから私は木製の慰霊碑を建てました。木ならばいずれ朽ち果てますから。
 −ウクライナ侵攻は先が見えない状況です。
 テレビを見るのがつらい。戦争とは人間同士の殺し合いで、残酷なものなのです。早く終わってほしいと願っています。

◆住民ら100万人以上犠牲

レイテ島オルモックで、米軍の戦車を盾に進む歩兵部隊=1945年1月、米陸軍通信隊撮影(ACME)

<フィリピン戦> 旧日本軍は1941年の太平洋戦争開戦と同時に、米国統治下にあったフィリピンの攻略を開始。翌年に首都マニラを占領し、米軍はフィリピン全土から撤退した。米軍捕虜に長距離移動を強いて多数の犠牲者を出した「バターン死の行進」はこの時に起きている。
 日本は全域で軍政を行うが、フィリピン人ゲリラの抵抗に遭う。米軍は44年、レイテ島に上陸し反攻を開始。レイテ沖海戦で旧日本海軍は戦艦「武蔵」などを失い、連合艦隊は事実上壊滅した。レイテ島では将兵8万4000人のうち8万人が死亡。大岡昇平の小説「野火」や「レイテ戦記」で描かれたように、多くが飢えやマラリアで落命した。
 45年のマニラ市街戦でも敗れ、旧日本軍の死者は計約52万人に。一方、フィリピン人の死者は約110万人に達し、国土を破壊された上に、スパイ容疑などで虐殺された住民も多数いたため、戦後しばらくの間、強い反日感情が残った。

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