松永怜一さん死去 野球元代表監督 ロス五輪「金」

2022年5月13日 07時33分
 1984年ロサンゼルス五輪の公開競技だった野球で日本代表を監督として金メダルに導いた松永怜一(まつなが・れいいち)さんが12日、老衰のため死去した。90歳。北九州市出身。後日、家族葬を行う。
 福岡・八幡高、法政大で内野手としてプレー。法政一高(現法政高)、堀越高(ともに東京)の監督を経て65年から法政大監督を務めた。東京六大学リーグを6度制し、プロ野球で強打者として活躍した山本浩二、田淵幸一らを育てた。
 71年から住友金属を率い、日本選手権で優勝2度。アマチュア球界での要職のほか、日本オリンピック委員会(JOC)選手強化本部長などを歴任した。2007年に野球殿堂入りした。

◆法大で田淵、山本ら育成

 12日に亡くなった松永怜一さんは、多くの無名選手を育て上げたまれな指導者だった。象徴的なのは法政大監督時代で、1960年代半ばに東京六大学リーグ史に残る強力チームをつくり上げた。打の田淵幸一さん、富田勝さん、山本浩二さんに、投の山中正竹さん。いずれも高校時代に甲子園出場はなかったが、田淵さんは22本塁打、山中さんは48勝で、ともに通算記録を更新した。
 「奇跡の抜てき」といわれたのが山本さんだ。当初は合宿にも入れない「その他大勢組」で球拾いをしていた。打力に目を付けて投手から転向させ、プロ野球広島で超一流となったのは周知の通りである。甲子園組は多かったが「グラウンドでの姿が全て。どんな経験があろうともだ」と自分の目で見て発掘し、育てて送り出すことが生きがいだった。
 采配は勝負師だった。ロサンゼルス五輪決勝で、後に大リーグ本塁打王になるマーク・マグワイアさんらがいた米国を破った。適材適所の選手起用、スモールベースボールの妙が決め手となり「ミラクル日本」と評価された。
 信念ゆえに口うるさく、従わない者を外す強さ、怖さもあった。たとえ4年生でも合宿から追いやった。球界で成功した教え子、栄光を見ると、恵まれた理想のアマチュア監督といえた。 (元共同通信編集委員 菅谷斉)

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