皇室と沖縄、つむいだ絆 上皇ご夫妻は訪問11回で慰霊と遺族らと対話、琉歌にも造詣

2022年5月13日 12時00分

沖縄全戦没者追悼式の前夜祭で上皇さまの琉歌を合同演奏する琉球古典音楽の各流派代表ら=2018年6月、沖縄平和祈念堂で

 沖縄の日本復帰50周年を記念する式典が15日に開かれ、天皇、皇后両陛下がオンラインで出席される。天皇陛下は2月の誕生日会見で「沖縄の地と沖縄の皆さんに心を寄せていきたい」と述べたが、今日の皇室と沖縄の特別な関係は上皇ご夫妻が長い歳月をかけて築いたものだった。(阿部博行)
 「多くの尊い犠牲は一時の行為や言葉によってあがなえるものではなく、人びとが長い年月をかけて、これを記憶し、一人ひとり、深い内省の中にあって、この地に心を寄せ続けていくことをおいて考えられません」。上皇さまが皇太子時代の1975年、沖縄国際海洋博覧会の名誉総裁として沖縄を初訪問した際に発表した談話の一節だ。

「ひめゆりの塔」で火炎びんを投げられ一瞬たじろかれる皇太子ご夫妻=1975年7月

 日本復帰から3年の沖縄では沖縄戦について昭和天皇の責任を問う声があり、皇室への反感が強かった。ご夫妻は「ひめゆりの塔」で過激派から火炎瓶を投げられたが、その日に県民に発した談話には贖罪しょくざいにも似た覚悟がにじんでいた。
 上皇さまが向き合う沖縄の歴史には戦前、母方の祖先・島津家が治めた薩摩藩の琉球侵攻や明治政府が琉球王国を滅ぼした歴史も含まれていた。「心を寄せ続けていく」の言葉通り、ご夫妻は11回の訪問で慰霊と遺族らとの対話を重ね、その姿を通して国民の沖縄に対する理解も促した。
 元侍従長の故渡邉允さんは著書「天皇家の執事」で96年のクリントン米大統領と上皇さまの会談に触れている。日米間で普天間基地の移転などが議論された時期だが、上皇さまは「県民の幸せに配慮した解決の道が開かれていくことを願っております」と伝えたという。政治的な発言が禁止されている立場上、ぎりぎりの発言だったと渡邉さんは回想している。
 2004年には伝統芸能の組踊くみおどりなどの保存振興を担う「国立劇場おきなわ」が開場した。県民の長年の願いだったが、上皇さまが閣僚らとの懇談で「組踊劇場をお造りになってはいかがですか」と言及したことが開場を後押しした。
 実のところ沖縄と皇室の交流は日本復帰より9年前の63年、上皇さまが「沖縄豆記者」の子どもたちを東宮御所に迎えたことに始まる。歓迎行事が恒例となり、ホスト役は上皇ご夫妻から皇太子時代の天皇、皇后両陛下を経て、秋篠宮ご夫妻に引き継がれ、世代を超えた交流が続く。
 やはり復帰前の67年、上皇ご夫妻は学童疎開船「対馬丸」などの悲劇を伝える展示会場で沖縄学の権威の故外間守善ほかましゅぜんさんと出会い、この後、琉球文化に造詣を深めた。上皇さまは伝統の琉歌りゅうかも自作し、75年の初訪問で摩文仁まぶにの丘の慰霊碑を巡って詠んだ鎮魂の琉歌は、沖縄全戦没者追悼式の前夜祭で40年以上も琉球古典音楽の各流派代表によって合同演奏されてきた。

 上皇さまが1975年に詠まれた琉歌「摩文仁」 「ふさかいゆる木草(フサケユルキクサ) めくる戦跡(ミグルイクサアトゥ) くり返し返し(クリカイシガイシ) 思ひかけて(ウムイカキティ)」(夏の草木の繁茂する島、そこに残る戦跡を巡礼します。戦争で亡くなった人々に、くり返しくり返し思いをよせて=歌意は沖縄協会元会長小玉正任著「史料が語る琉球と沖縄」より)

 6月23日の沖縄慰霊の日は上皇さまが忘れてはならない4つの日にあげた一つだ。来月22日の前夜祭では新型コロナウイルス感染症の影響で控えていた生演奏を3年ぶりに少人数で再開し、平和の祈りを込めた上皇さまの琉歌が古曲の調べで歌われる。

関連キーワード


おすすめ情報