<沖縄復帰50年>沖縄出身・茂原の吉田さん 米軍基地撤廃求め活動 「首都圏からも うねりを」

2022年5月14日 06時53分

沖縄の貧困問題に関する書類を読み込む吉田務さん=茂原市で

 沖縄が一九七二年に日本へ復帰してから、十五日で五十年になる。国内にある米軍専用施設の約七割が集中する状況が続いており、沖縄出身で在日米軍基地の撤廃を求めて長年活動してきた茂原市の社会保険労務士、吉田務さん(75)は「五十年たっても沖縄返還は、実質的にはされていない。米軍基地をなくす巨大なうねりを、首都圏からもつくらないといけない」と決意を新たにする。(山口登史)
 吉田さんは終戦翌年の四六年、沖縄県北部の大宜味村に生まれ、那覇市内で育った。沖縄戦では「鉄の暴風」と形容される米軍の激しい攻撃にさらされ、街並みが破壊された。「幼いころは、がれきに埋め尽くされた街を歩いて、鉄くずを集めて生活の足しにしていた」と苦労を振り返る。
 サンフランシスコ講和条約が発効した五二年、日本は独立を果たしたが、沖縄は七二年まで米国の施政権下に置かれた。高校時代の恩師がデモに参加するなど、日増しに高まる祖国復帰要求に「沖縄のために何かできないか」との思いが強まった。
 十八歳で東京都内の大学に進学。同級生からは「沖縄は英語を話しているんだろ」などと言われ、その理解不足に悔しさも募らせた。「沖縄の誇りと尊厳を取り戻さなければならない」
 当時は学生運動が盛んだった時代。授業はほとんど行われなかったこともあり、六八年の沖縄三大選挙(琉球政府初の行政主席選、立法院議員選、那覇市長選)では、故郷で寝泊まりをして選挙運動も経験した。六九年十一月に当時の佐藤栄作首相とニクソン米大統領が沖縄返還に合意した時は「民衆の力で引っ張ってきたんだ」と感慨にふけった。
 大学卒業後も船橋市に自宅を構えた一方、沖縄で大きな選挙が行われるたびに帰省し、さまざまな候補者の裏方として骨を折った。原動力となったのは、相次ぐ在日米軍の不祥事。加えて、全国最下位の沖縄県民所得や高止まりする失業率に伴う物質的、精神的貧困のまん延を挙げる。「二十七年間、日本から切り離され、日本国憲法も適用されず、権利も制限された。基地があちこちに設置され、まともな経済発展もできなかった」と考える。
 吉田さんは二〇〇〇年ごろ、生まれ故郷に近い名護市に移住した後、一九年ごろには再び千葉県内に移住。社会保険労務士の業務の合間を縫って、長年取り組んできた沖縄の貧困問題の研究と年金者組合の活動に励む。
 千葉で気掛かりになっているのは、陸上自衛隊木更津駐屯地(木更津市)に暫定配備されている垂直離着陸輸送機オスプレイの動向だ。一六年十二月、名護市沖の浅瀬に墜落して大破した際、現場を訪れた吉田さんは「一つ間違えば大惨事になる」と痛感した。「世界各地で墜落しており、欠陥だらけの機体だ。配備するなんて、とんでもないことだ」
 現在、ロシアが軍事侵攻するウクライナでは、破壊された街並みが連日報じられる。幼いころ、沖縄で見た光景と重なるという。ロシアの行動を受け、日本国内でも核武装を求める声も上がるが、吉田さんは「軍事には軍事対抗すべきではなく、平和と外交で対応すべきだ」と強調する。「戦争だけは絶対にいけない」

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