「文学」の言葉が必要だ 『今日よりもマシな明日 文学芸能論』 批評家・DJ 矢野利裕さん(38)

2022年5月15日 07時00分
 町田康、いとうせいこう、西加奈子の三人の作家をそれぞれ論じた批評などをまとめた一冊。通底しているのは、小説を「芸能」の形態の一つだととらえ、差別や教育、社会の問題とのつながり、言葉そのものについて考える姿勢だ。
 東京都内の私立中高一貫校に国語教諭として勤める。予期せぬ体験をさせてくれるのが芸能や批評だとし、「話が通じすぎる」と感じるアカデミズムの世界とは距離を置く。自ら位置付けた「退屈な生活者」の視点から、「中高生のように批評の言葉にあまり触れたことのない人に対して書くことを意識した」。
 町田康論は、第五十七回群像新人文学賞評論部門の優秀作。町田の作品を「自分の思い通りにならない厄介さ。それに逆に背中を押される人物を描いている」と評す。特徴である饒舌(じょうぜつ)的な文体を「『声』であり、書き言葉というより、話し言葉」とみて、音楽活動との一貫性も指摘。芸能的な「他者の視線」を意識した「おかしみ」に着目する。
 いとうせいこうに関しては小説を書けない「失語」に陥りながら、東日本大震災後に『想像ラジオ』を著したことを「自分の言葉で自分の背中を押して復帰した」と感じた。タレントやラッパーなど多彩な顔をもつ、いとうの全貌を論じようと試み、「誰かに声を発する機会を与えるアマチュアリズム」を見いだした。
 西加奈子論は「人が言葉で背中を押される背景を俯瞰(ふかん)的に考えると、差別の問題が暴力的に働いている側面もある」との懸念に基づく。自身は小説を読んだり、お笑いを見たりしておかしく思う時に「差別的な視線を楽しむ罪悪感」があるといい、「身体を重視しつつ、傷つきの背後に喜びがある両面性を見据えている」と西の作品を評価する。
 音楽好きでDJとしても活動する。学生時代のいじめを理由に東京五輪開会式の楽曲担当を辞任した小山田圭吾を巡る補論では、「社会的な正しさ」を見つめた。批判や擁護といった「政治」的な判断ではない、「私」に目を向けた「文学」の言葉が必要だと主張。「言葉を投げ掛けるべきは、価値観を共有できない人だ」
 言葉を「演劇的で本当に思い通りにならない」一方、「良くも悪くも生かしてくれるもの」だと認識する。本書には「少しでも元気になれる言葉を与えたい」との思いを込めた。今日よりもマシな明日を生きるために−。講談社・一八七〇円。 (清水祐樹)

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