<あしたの島 沖縄復帰50年>「復帰っ子」つなぐ未来

2022年5月15日 07時06分
 沖縄の人々は、1972年の本土復帰前後に生まれた世代を「復帰っ子」と呼んでいる。節目のたびに注目され、未来を託されてきた子どもたちも50歳。神奈川ゆかりの復帰っ子に、復帰から半世紀を迎えた故郷への思いを聞いた。

◆「おじいの思いを伝えたい」 ガレッジセール・川田広樹さん

「生の声を聞き、思いを伝えたい」と話す川田さん=東京都千代田区で

 横浜市鶴見区の沖縄タウンを舞台にした地域映画「だからよ〜鶴見」に主演したお笑いコンビ「ガレッジセール」の川田広樹さん(49)も、沖縄出身の「復帰っ子」だ。昨年から、沖縄戦の体験者に話を聞いてドキュメンタリー映画を製作する活動に参加。今秋の完成を目指しており「復帰っ子として、ウチナーンチュ(沖縄の人)として、やるべきかなと」と決意を語る。
 九十歳の「おじい」はこう言った。「逃げるは生きるだよ」。沖縄戦の時、避難した防空壕(ごう)が満員で、集団自決をしようにも手りゅう弾の数が足りなかった。父親は、子どもたちを先に逃がしてくれた。その後、防空壕は毒ガスによる攻撃に遭い、中に残った父親らは亡くなったという。
 聞いた後、一人になると涙が止まらなかった。「悲惨すぎて。思い出したくないはずなのに、現場に連れて行ってくれて『ここで家族が死んだ』『集団自決があった』と教えてくれた」
 地元の復帰っ子たちから映画製作に誘われた時、葛藤があった。戦禍を記録する取り組みに、人を笑わせる芸人をしながら携わっていいのか。「それまでは自分が売れることで精いっぱいだった。ただ、五十年の節目で、おじい、おばあの生の声を聞きたい、思いを伝えたいと思った」
 那覇市で育った。入学や卒業、成人式。式典があるたび、「復帰っ子おめでとう」と言われた。五月十五日生まれの同級生は「ヒーローのようだった」。当時の米軍基地は遊びにも行った身近な場所。「基地の中に友達がいたら、中に入って買い物をしたり映画を見たりできた」。復帰の六年後に道路が右側通行から左側通行になったこともよく覚えている。
 売れっ子になった今も、鶴見に沖縄料理を食べに来る。「ホームシックになった時に充電する場所」だ。仲間内で定期的にお金を集め、必要な時に助け合う沖縄の文化「模合(もあい)」は、沖縄出身者以外も誘って受け継いだ。深い思いやりを表す「ちむぐくる」という精神も残したい。コロナ禍で人との距離が物理的に離れた今、「ちむぐくるを見つめ直すのが大事」と感じるからだ。いつか、沖縄に帰ろうと思っている。
 本土復帰から五十年となる五月十五日。「この日だけは、過去にこんな戦争があり、生き残った人がいるから自分たちがいると考えてほしい」(神谷円香)

◆「理想の平和 なってるかな」 イチャリバーズ・シーサー玉城さん

元気な歌声で沖縄の魅力と平和の大切さを伝える玉城さん=川崎市川崎区で

 「喜び半分、悔しさ半分みたいなところがある」
 川崎市川崎区の沖縄料理店で四月下旬に開かれたライブで、紅型(びんがた)の衣装に身を包んだシーサー玉城(たまき)さん(49)=横浜市鶴見区=が切り出した。沖縄出身の音楽ユニット「イチャリバーズ」のボーカルで、一九七二年生まれの「復帰っ子」。五十年を迎える本土復帰への複雑な思いとともに問い掛ける。
 「おじいやおばあたちが頑張ってきた理想の沖縄になっているのかな。理想の平和になっているのかな」
 沖縄本島南部の旧東風平(こちんだ)町出身。二〇〇七年にイチャリバーズに加入し、首都圏を中心にライブ活動を重ねている。一七年からは、かわさきFMの番組「琉球リミテッド」のパーソナリティーも務める。
 元気で明るい歌声が人気だが、ライブでは沖縄の時事の話題も欠かさない。毎年、五月が近づくたびに本土復帰の話をしてきた。「思いのほか、沖縄のことが知られていない。昔はパスポートが必要だったことも、六月の慰霊の日のことも知らない人が多かった。沖縄で起こっていることは遠い問題ではなく、日本のあらゆる問題が凝縮している。自分の問題と思ってほしい」
 子どものころは分からなかった平和教育の意味に気づいたのは、沖縄国際大学を卒業後、県内の映像制作会社に就職してから。戦争体験を記録する仕事を通し、教え子を戦場に行かせてしまった後悔にかられる教師たちの思いを知ったという。「二度と戦争を起こさないと誓った人々の思いを伝えていきたい」
 勤めたのは一九九九年に上京するまでの一年半ほどだが、玉城さんは取材の中で、沖縄本島の東岸にジュゴンが生息している「特ダネ」をつかみ、新聞に発表。沖縄の美しい海を守る運動のきっかけとなった。
 「復帰っ子」は、沖縄に生まれて良かったと思える世代だという。「沖縄では長く『本土並み』を目指す教育が行われ、学力などで劣等感を植え付けられてきた。沖縄を好きと言えなかった人々がいる」。九九年の沖縄尚学高校の甲子園初優勝や、安室奈美恵さんらの活躍は、そんな県民の気持ちを変えてきた。
 「沖縄っていいねと言われる世の中になったのは、先に頑張ってくれた人たちのおかげ。だから、私たち復帰っ子が幸せでいられる。その恩返しをしたいんです」(中山洋子)

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