<沖縄復帰50年>一人一人の人生追う 沖縄戦で犠牲の県関係者1000人超 市民団体が郷土史などを調査

2022年5月15日 07時07分

沖縄戦で亡くなった県関係者について調べる辻さん(左)と金丸さん=川口市で

 太平洋戦争末期の沖縄戦で命を落とした千人超の県関係者の足跡を、沖縄問題を学ぶ市民団体が調べている。戦没者の詳細を一覧にした公開資料はなく、市町村史などから情報を集める地道な作業だ。戦後の米軍統治を経て、沖縄が日本に復帰して十五日で五十年。戦争の犠牲者にあらためて思いをはせようと取り組んでいる。(近藤統義)
 団体は「沖縄の闘いに連帯する関東の会」。沖縄の研究者やジャーナリストによる講演会などを二〇一七年から県内で開いている。調査のきっかけは、昨年十一月に那覇市から講師として招いた具志堅隆松さん(68)の活動だった。
 具志堅さんは沖縄戦で亡くなった人の遺骨収集を約四十年間続けている。名護市辺野古の米軍新基地建設の埋め立てに遺骨が眠る土砂を使う政府の計画に対し、「戦没者を冒涜(ぼうとく)する行為だ」と強く異を唱えた。
 この訴えを聞いた会長の辻忠男さん(73)=蓮田市=は「遺骨が見つかっていない埼玉の関係者もいるかもしれない。沖縄戦を考える上で、どんな人が亡くなったのか一人一人の『顔』が知りたい」と思った。
 沖縄にある「平和の礎(いしじ)」には、県関係の千百三十八人(昨年六月時点)の戦没者の氏名が刻まれている。それを手掛かりに市町村の郷土史や関連書籍をあさると、氏名だけでなく死亡場所や家族構成、軍歴、さらには顔写真を掲載しているものもあった。
 会員の金丸堅二さん(73)=さいたま市=は「家族の存在や顔写真が分かると、千百三十八という数字からは見えない、個人の具体的な物語が現れてくる」と調査を通して実感する。
 こうした積み重ねで、資料で氏名を照合できた戦没者は今のところ六百八十七人。全体像を明らかにするのは容易ではなく「まだ入り口に立ったばかり」と辻さん。
 日本復帰から半世紀という節目に「米軍施設が集中し、いまだ憲法の外に置かれている」と沖縄に心を寄せる。戦没者の情報はいずれ冊子などにまとめ、遺族の話も聞いてみたいと考えている。情報提供などは辻さんのメール(t-tsuji@mcp-saitama.or.jp)へ。
<「遺骨土砂」を巡る問題> 防衛省は2020年4月、辺野古の海底の軟弱地盤に対応するため、埋め立てに使う土砂の調達先に沖縄本島南部を加える設計変更を沖縄県に申請。県は昨年11月に不承認としたが、政府は計画を撤回していない。本島南部は沖縄戦の激戦地で、戦没者の遺骨が今も眠っている。埼玉県や川越市、秩父市など全国200超の地方議会で計画に反対する意見書が可決されている。

団体が県に情報公開を求めた「死没者原簿」の写し。個人情報を理由に大半が黒塗りだが、死亡場所には「沖縄」の文字がある


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