<湊ナオのシンシンツクバ>(7)田んぼのパッチワーク

2022年5月16日 07時42分

地表を覆う水田のパッチワーク(筆者撮影)

 土ものの器が好きで、笠間や栃木・益子の春の陶器市を楽しみにしている。時期が重なるのでどちらに行くかが悩みどころだ。
 笠間は笠間芸術の森公園が会場で、二〇一二年に朝日トンネルが開通してから格段に足を運びやすくなった。くるみの入ったいなりずしも大好物。フジ・ツツジ・シバザクラの花もちょうどそのころ咲きほこる。
 益子もいい。こちらは街に溶け込んだ市で、大通りの店先、脇道、作家テントと目移りするうちに丘の上まで歩いていることも。藍染め工房など陶器以外の民芸に触れられるのも楽しい。
 どちらに行くにせよ下道で行く。道中、筑波山周辺の田植えの景色が心やすらぐ眺めだからだ。水をはった田んぼに青空が映り、植えられたばかりの苗がひよひよと風にそよいでいる。
 ゴールデンウイークのころ、一家総出で田植えしている姿も頼もしい。介護関係の仕事のころは人のやりくりで悩まされたが、今はただありがたい。農家さんが変わることなくコメ作りに励んでくれていることが。そして作付けのできる平和が。
 四季折々の営みができるってどんなに幸いなことだろう! 平和であってこそ苗も植えられるのだなあとあらためて感じている。この季節、水田がパッチワークのようにふわっと地表をおおっているのを見ると、わけもなくほっとするのだ。
 富山和子氏は著書『環境問題とは何か』で日本の急流の川では水はすぐ海に流れ出てしまうところ、農業用水が広大な面積の大地に水を張り付ける役割を担っていると述べた。大地に張り付けてこそ、それは地下水になり川の水になるのだと。田んぼはその最たるものだろう。
 コメを作る、自然を相手にする難しさは聞きかじりでしかないが、故郷の濃尾平野も洪水に辛苦し、農業用水を張り巡らせた土地。水の流れには以前から関心があった。
 以前住んでいたつくば市二の宮の地名は、かの二宮尊徳が由来だと言う。いわく天保の大飢饉(ききん)のころ、谷田部藩が農政家として有名な二宮尊徳を招き、彼の指導のもと洞峰沼から水を引こうと用水路を掘ったがなぜか水は流れない。それで村人はその堀を「尊徳の馬鹿(ばか)堀」と呼んだ−そんな言い伝えがある。
 村人からしてみれば、ただでさえ飢えているところに用水路掘りの労役があり、さらに水も得られないとなってはたまったものではない。私が当時の村人だったら確実に恨むし、殿様に見つからないよう陰口を言いまくって末代にまで伝えちゃうかもしれない。それこそ地名として残ってしまうぐらいにまで。
 現代の目線で見れば、当時から農村復興の手腕を認められていた尊徳さんの激務や過労は容易に想像できるし、一人のスーパーマンだけですべての案件を完璧に判断し指示するのはムリムリと同情する部分もある。ましてや自然が相手なのだから。
 明治生まれの小説家、長塚節が『土』で描写した農民は、雑木林を唐鍬(とうぐわ)だけで開墾し、不作に泣き、鬼怒川の洪水に悩まされる。そんな寒々しい暮らしもたった百年ちょっと前のこと。
 今はどうか。戦争で国土が荒れ、人心が痛めつけられれば簡単に人の営みなど断ち切られると知った。こんな事態ではSDGs(持続可能な開発目標)の理念はまた遠ざかる。
 さいわい滝平二郎がきりえで描いたような素朴な風景はまだ目の前にある。私も昔から連綿と続く祈りを繰りかえす。どうか無事に農作物が実りますように、豊作でありますように。(作家、つくば市在住)=毎月第三月曜日掲載

関連キーワード


おすすめ情報