川崎・日進町の簡宿火災から7年 「必要としている人もいる」火元と別の経営者の思い

2022年5月17日 07時18分

簡宿が立ち並ぶ川崎区日進町

 十一人が亡くなった川崎市川崎区日進町の簡易宿泊所(簡宿)の火災から十七日で七年がたつ。出火元とは別の簡宿経営者の八十代男性が取材に応じ、「簡宿が悪者と批判されたが、ここを必要としている人もいる」として、火災後も経営を続けてきた思いを述べた。(竹谷直子)
 半世紀以上簡宿を営んできた男性によると、日進町の簡宿ではかつて、多くの日雇い労働者が暮らした。高度経済成長の後、不況と高齢化が重なり、生活保護受給者の割合が増えた。男性の営む簡宿でも火災当時、約八割が生活保護受給者だったという。
 「ぼや騒ぎはあったが、あんなに大きな火事は初めて。とにかくびっくりした」と当時を振り返る。現場で被災者の宿の確保や食事の支援に関わった。
 男性によると、火災前は、市から住む場所のない生活保護受給者の受け入れを頼まれることもあった。「アパートの家主は、身元が不安定だと入居を断る。(市は)とにかく引き受けてくれ、という感じだった」と打ち明ける。
 市生活保護・自立支援室の担当者は「住む場所がない生活保護受給者に対しては、自立支援センターを紹介するが、嫌がった場合は簡宿があると伝えることはあった」と説明する。
 七年前の火災で出火した建物は三階部分を違法に増築し、耐火基準を満たしていなかった。火災後、市は、出火元と同様の構造の簡宿に対して、三階部分を使わないよう指導。生活保護受給者のアパートへの転居支援を進めた。
 市消防局は「消火設備などの定期検査で三層の構造になっていることは把握していたが、(火災前に)違法性までは認識していなかった」と説明。ただ、男性は「違法建築と一斉に報道され、『貧困ビジネス』だと言われ、簡宿が悪者になった。多摩川のホームレスも多く受け入れ、福祉行政に協力してきたところもある」と複雑な思いを話した。
 火災後は「経営が成り立たない」などとして、廃業が相次いだ。市によると、当時四十九軒あった簡宿のうち、当時の形を残して営業を続けているのは十九軒。二〇一五年五月末時点、千三百四十九人いた生活保護受給者は、今年三月末で二百九十八人まで減った。
 このうち六十五歳以上の高齢者は七割を超える。男性は介護が必要な宿泊者に、入浴や買い出しの支援もしてきたという。簡宿で暮らす人は、家族のいない孤独な人が多い。「同じような境遇の人が生活をし、『大家族』のようなところがある」と男性は語る。
 「社会から見れば、簡宿にいるのはだめな人とみられるかもしれないが、いつも会話があり心が豊かになる。そこが簡宿のいいところだ」とした。「長年暮らした高齢者は、ここで最期まで暮らしたいという。できる限り続けていきたい」
<川崎簡易宿泊所火災> 川崎市川崎区日進町で2015年5月17日未明、簡易宿泊所2軒が全焼し、宿泊者11人が死亡した。市消防局は「何者かが放火」との調査結果を公表した。

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