生活視点でよい社会つくる <「婦人之友」創刊120年 前編>編集長・羽仁曜子

2022年4月26日 11時31分

創刊120年目を迎えた『婦人之友』の2022年4月号。特集は「プチ・ストレス解消 生活の知恵120」

 家庭からよい社会をつくるという視点を貫く月刊誌『婦人之友』が4月、創刊120年目を歩み出した。この雑誌を母胎に誕生し、生活に根ざした教育で知られる自由学園(東京都東久留米市)も創立から100年を超えている。長く続く、枠にはまらない実践活動の背景には、雑誌の創刊から今日まで変わらない「読者と記者の研究室」という姿勢があるという。『婦人之友』の羽仁曜子(はにようこ)編集長に寄稿してもらった。
 一九〇三年の四月三日、東京で小さな雑誌、『家庭之友』(『婦人之友』の前身)が生まれた。創刊したのは、三十歳の羽仁もと子と、二十三歳の羽仁吉一(よしかず)夫妻。

1921年、自由学園の開校を前にした羽仁もと子(右)と吉一 ©婦人之友社

 女性記者の先駆けもと子と、新進気鋭の記者吉一は新聞社で出会い結婚したが、当時、社内結婚は許されず退社、新しい社会を願っての雑誌創刊だった。
 創刊前日に長女・説子が誕生という喜びと忙しさの新生活で、二人は家庭が向き合う課題を読者と共に考え、社会に投げかけ、より住みよい社会にと考えた。もと子がこの雑誌を「生活の研究室」と捉え、同じ悩みを持つ人たちの「親切なる相談相手」にと願った関係性は、その後社会が著しく変化した百二十年の間も、『婦人之友』を支え続けた。

1903年『家庭の友』創刊号。創刊号は「の」を使用

 百年前、生活の改善にと読者と知恵を出し合ったものは、例えば主婦の仕事着や床座での調理を改める「立ち式調理台」。読者から案を募り料理専門家と仕上げ、誌上で発表。製品化し、「買い物部」で販売、普及させた。
 もと子は「私の雑誌が子供の洋服を主張すれば、ただ洋服がよいからお着なさいだけではありませんでした。裁ち方縫い方を出し、着方を出し、洗濯法を出し、子供に洋服を着せた経験を出し、費用を出し、講習会を開き……洋服ばかりではなく、すべてのことがそうでした」(羽仁もと子著作集第十四巻)と語る。
 また、識者を招き、とことん疑問や問題を語り合った誌上座談会のテーマは、「生活における『整理』の原則とその応用」から「婦人参政権問題について」まで、暮らしと社会を横断し多岐にわたった。

1913年10月号に掲載の「読者と考えた割烹着と料理台」の挿絵。後に誌上で販売した

 二人の娘を育てる中で、詰め込み教育ではない新しい学校を望んだ夫妻は、一九二一年『婦人之友』二月号で、「自由学園」の創立を発表、生徒を募集。猛スピードで、四月には二十六人の生徒を迎え女学校を開校する。
 各分野の第一人者−文学者、科学者、画家、音楽家などによるカリキュラムを編成、生徒自らの伸びる力に働きかける教育を目指した。生徒たちは、昼食作りから掃除まで自労自治で、生活の場を教室として学んでいった。
 帝国ホテル設計のために来日していたアメリカの建築家、フランク・ロイド・ライトが設計した校舎・自由学園明日館(みょうにちかん)は現在、婦人之友社(東京都豊島区)の向かいに国の重要文化財として動態保存。自由学園は東久留米市に移転後、幼稚園から大学部までの男女が通う学校として、創立百周年を迎えている。
 読者とのつながりは、一九三〇年に「全国友の会」が誕生することでさらに強まり、生活を合理的にする試みや、子育てを助け合うことなど、雑誌での投げかけを実践していく。翌年には自由学園、婦人之友社と「家庭生活合理化展覧会」を開催、二年間で全国六十カ所を巡回し、入場者は約五十五万人。家庭から社会へ力強く働きかけた。全国友の会は今、海外を含む各地百八十カ所を拠点に活動する。
 多くの方々に支えられてきた「読者と記者の研究室」。変わらない精神で今月も編集中だ。その様子は後編で。
<羽仁もと子> 1873(明治6)年、青森県八戸生まれ。上京して勉学後、教職を経て97(明治30)年、「報知新聞」の校正係に。認められて記者に登用され、日本初の女性記者となる。夫・吉一と婦人之友社、自由学園を創立。

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