<ワタシの「働く」 男女雇用均等法から見る>(上) 「第一世代」切り開いた道 オリックスグループ執行役員・山科裕子さんに聞く

2022年5月18日 10時14分
 一九八六年の男女雇用機会均等法施行から三十六年。その直後に、主要業務を担う総合職として入社した「均等法第一世代」の女性たちが、間もなく定年を迎える。近年は、長時間労働を解消する「働き方改革」や男性の育児休業取得を促す改正育児・介護休業法の成立など、女性に限らず、男性も働きやすい職場の実現がうたわれるようになった。これまでの、そしてこれからの「働く」現場を見る。 (長田真由美、海老名徳馬)
 「第一世代」とは均等法施行後、九〇年までに入社した総合職の女性を意味する。二〇一六年、オリックスグループ初の女性執行役員になった山科裕子さん(58)は、その一人。一九八六年にオリエント・リース(現オリックス)に入社した。
 女性の新卒採用は、短大卒、自宅通勤者が優遇されていた当時。兵庫から上京して下宿暮らし、しかも四年制大卒への求人はほとんどなかった。それでも「仕事は自己実現の場でもある。長く働いて経済的にも自立したい」と総合職を希望した。
 今のように業種を選ぶ余裕はない。募集がある会社の説明会はほぼ全て出た。入社の決め手は、リース業に加え不動産や金融など多角的に事業を展開していること。「ビジネスに柔軟な会社は働く人への考え方も柔軟」と思った。
 同期の女性総合職三人と住宅事業部に配属され、この部署で初めての「営業ウーマン」に。投資用マンションを買う客を審査し、資金を貸すのが仕事だ。新しい分野で業績も伸びており、活気があった。以降、秘書課、広報など計十一回の異動を繰り返した。

◆貢献するため学ぼう

 転機の一つは三十歳のころ。会社の経営企画に関わる社長室企画チームに異動すると、専門性の高い人が集まっていた。どうしたらチームに貢献できるか。二年間、筑波大の社会人大学院コースで企業法学を学ぼうと決めた。上司は「よく自分で考えてきめたね」と喜んでくれた。
 「一つの会社だけの経験では、どうしても見方が偏る」。性別も、年齢も、業種もさまざまな仲間との出会いは大きかった。「バックグラウンドが多様でも分かり合えるし、認め合える。それには違いを受け入れる度量の大きさが必要」と実感したという。
 総合職で入社した女性の同期は四十九人。ただ、結婚、出産などを機にほとんどが去った。自身は二十七歳で結婚したが「家にいてくれ、という人じゃなかった」。とはいえ、全て順調だったわけではない。一時は介護と仕事の両立に体が悲鳴を上げ、しばらく休んだ。
 初めて管理職に就いたのは三十四歳の時。広報・IRチームで自分より広報の経験が豊かな男性部下二人を率いる傍ら、少しして週末は母親の介護で東京と実家を行き来するようになった。夫がドイツに単身赴任中だったため、平日は毎晩十一時まで勤務。「コンビニ弁当は全種類食べた」と言うほど。「頑張っている自分に酔っていた」
 五十歳で女性初のオリックス執行役になった。役員会に出てあらためて驚いた。黒いスーツを着た男性ばかり。そこでつくったのが、他の会社でも少しずつ出てきていた女性役員とのネットワークだ。社会人大学院時代と同じように「人とつながると視野が広がる。足元の悩みを違った目線で捉えられる」と話す。

◆支援次第で管理職に

 国内企業の管理職に占める女性の割合は平均8・9%(二〇二一年、帝国データバンク調査)。政府が掲げる30%との開きは大きい。社内でも出産や育児などの理由で打診を断る女性を見てきた。「やりたい気持ちがあるなら、口に出してほしい」と訴える。サポート次第で管理職になることはできる、と。
 「私は人に恵まれた」と言う。大事なのは、女性、男性だからではなく「自分らしい働き方」。入社した当時は、女性が管理職になるなんて想像もしなかった。「遅々とはしていますが、思ったよりも進んでいます」と前向きだ。
 男女別の採用が行われ、男性が主要な業務を、女性は補助的な仕事をするのが一般的だった均等法以前。結婚や出産、一定の年齢での退職制度がある会社も少なくなかった。法の施行は定年や解雇を巡る女性差別を禁止。募集、採用、配置、昇進での差別禁止は企業の努力義務に。女性にも管理職への道が開かれた。
 ただ、多くの企業は将来の幹部候補としても期待する総合職と、そのサポートをする一般職に分けて女性を採用。「男性は仕事、女性は家庭」といった性による役割分業意識も根強く、依然として「女性は結婚して退職する存在」として見られがちだった。

◆総合職は「特別な人」

 日本女子大名誉教授の大沢真知子さん(69)=労働経済学=によると、そうした中、総合職の女性に求められたのは、転勤や残業もいとわず、家庭よりも仕事を優先させる男性並みに働くこと。「二十五歳までに結婚しない女性を『売れ残り』などと呼ぶ風潮もあり、総合職を選ぶのは特別な人と思われた」と指摘。女性の多くは一般職に就いた。
 総合職と一般職の違いはあっても、均等法施行が女性の社会進出を後押ししたのは確かだ。一九九二年には、共働き家庭が初めて、専業主婦家庭を上回った。その後、九九年施行の改正法では、当初の努力義務が禁止規定に引き上げられるなど、法律自体も時代に合わせて変化している=表。

◆一般職から非正規へ

 ただ、山科さんのようにトップで力を発揮する女性が出てきた半面、管理職への登用は道半ばだ。また、九〇年代のバブル崩壊やアジア通貨危機を経て、企業側は女性が多く担っていた一般職の仕事を、派遣社員など「雇用の調整弁」として使いやすい非正規労働者にゆだねるように。総務省の調査によると、女性の非正規雇用の割合は、九〇年の38%から二〇二〇年には54%に上昇した。
 このため賃金格差はいまだに埋まらず、二一年、男性の賃金を一〇〇とした場合、女性は七五・二にとどまる。コロナ禍から二年となった二月、連合が非正規女性千人に実施した調査では、66・9%が「経済的なゆとりがない」と回答。雇用や収入に関わる影響を聞くと「収入の減少」が最多で23・3%、「勤務日数や労働時間の減少」が21・2%と続いた。
 一方で、終身雇用や年功序列といった日本的な雇用慣行は転換期を迎えている。国立女性教育会館が一五年四月の新卒社員約二千百人を追跡調査したところ、五年目の六割が「転職したい」と回答。男女差はほとんどなかった。
 コロナ禍やウクライナ侵攻など世界経済に影響を及ぼす出来事が相次いでいる。大沢さんは「出世よりも生き延びるスキルを身につけたいと考えると、同じ会社で働き続けることに魅力を感じられないのではないか」と分析する。
 「日本の労働者はこれまで、仕事中心になりすぎていた」と大沢さんは言う。四月からは、男性も育児休業を取得しやすくする新制度が始まった。女性が働き続けられる環境は、男性にとっても生活と仕事のバランスが取りやすい。「一人一人が、自分に合ったライフプランを選択できる社会を実現することが大事」

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